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今日も皆さんに気づきのあるものになれば幸いです。

今週は「比較と自己肯定感」というテーマで書いてきましたが、そんな僕がどうだったのか・・・

僕の子どもの頃のエピソードを紹介させてください。
少し長文ですが、約7分ほどで読めると思います。最後まで是非お読みください。

 

  一番って何?と考える僕

 

「1番になれよ!」

そんなふうに周りからよく言われました。

でも、僕は「1番」になることにこだわる気持ちが全然ない子どもでした。
むしろ、なんとなく避けていたと言えると思います。


その理由はこの4つにあったと思います。

自分が1番になれば、誰かが1番ではなくなってつらい想いをする。
1番って、常に誰かに追われる立場で、ちょっと怖い。
1番にこだわらなくても、みんなが「いいね!」と思える状態でいいんじゃない?
そもそも、自分よりできる人いっぱいいるじゃん!
 

でも、特に 「自分が1番になれば、誰かが1番ではなくなってつらい想いをする」という理由は、周りから「おかしな子」と言われる感じでした。


「そんなの気にする必要ないよ!」
「競争に勝つことが大事だろ!」


そんな言葉を何度も聞きました。
でも、僕にとっては 「誰かが悲しい気持ちになるのなら、無理に1番を目指す必要はないんじゃないか?」 という思いのほうが強くありました。

変な話、小さいころから麻雀が好きだったのですが(実は高校時代に関西プロ麻雀連盟初段を取得しています)、自分が勝ち続けている状態になると、負けているところにわざと振り込む なんてこともしていました。
勝ち負けよりも「みんなが楽しい」にこだわるところがあったのです。

 

  1番にならなくても僕は僕だった

 


小学生・中学生の僕(もしかしたら高校時代もそうだったかも)は、「1番」に対するこだわりはなかったけど、決して自分に自信がなかったわけではありませんでした。

むしろ、「自分は必要とされている」という感覚は、すごく強く持っていました。

✅ 授業で友達に教えるのが得意だった
✅ クラスで困っている子を助けることが好きだった
✅ 問題があった時、自分が責任を負って周りをかばった


こうしたことや、班長・まとめ役・サポート役として、「僕には僕にしかできないことがある」 と実感していました。
だから、1番にこだわりはないけど、自分はちゃんと意味のある存在だと思えていた のです。


でも、そんな僕にも「自尊心」ほとんどありませんでした。

 

 

  自己肯定感が低いとは限らない

 

世間ではよく「日本人は自己肯定感が低い」と言われます。
昨日の記事とも少し内容は被りますが、自己肯定感って 「何ができるか」ではなく、「自分が何者であるか」 を受け入れる感覚ではないでしょうか?

僕は1番を目指すことはなかったですが、「僕はこれが得意!」という感覚はしっかり持っていました。(←ここは今もしっかり持っています。)


つまり、「自尊心 は低かったけど、自己効力感・自己信頼感・自己有用感 は高かった」ということです。
 

そして、これは 日本人に多く当てはまる特徴なのでは? と思います。


例えば、

災害時には自然と助け合う自己有用感 がある
黙々と努力し続ける人が多い自己効力感 がある
あの人はすごいと認め、自分を低く考える自尊心が低い


つまり、「日本人は自己肯定感が低い」と言われるけど、それは 「西洋的な自己肯定感の基準」 で見た場合の話。


実際には、日本人らしい自己肯定感の形があるのではないか?と僕は考えます。

 

  ヒゲ根の自己肯定感と、主体性の話

 

一般的に「自己肯定感」は 「太い1本の根っこ」のようなもの だと言われます。

✅ 自分を支える、確固たる軸がある
✅ それがないと揺らいでしまう

 

でも、僕の自己肯定感は違いました。
 

僕は今でも「自尊心」はめちゃくちゃ低くて、何をしても 「自分以外の人ができるんじゃない?」 と感じることが多いです。


でも、僕はそれでいいと思っています。

僕の根っこは太い根っこではなく、「ヒゲ根」だと思ってます。
どういうことかというと・・・

細かい根がたくさんあるから、1本が切れても大丈夫。
いろんな方向に伸びるから、土に根をびっしり張って生きていける。


「自己肯定感をどう持つか?」ではなく、「どう生きるか?」が大切なんじゃないか?


自己肯定感は太い根っこである必要はないし、太い根っことは限らない。

揺らぎながらも、たくさんの根で支えられる生き方もある。
 

ヒゲ根だからこそ、自分らしく輝けるんです!

 

水生植物 のように、ヒゲ根でもしっかり成長し、美しい花を咲かせるものがある。
コケ だって、太い根っこはないけど、鮮やかな緑で人を癒し、楽しませてくれる。


つまり、 「太い根があるかどうか」ではなく、「どんな環境でも、自分らしく根を張れるか?」 が大事なんじゃないか?


自分なりの方法で環境に適応する。
必要に応じて根を広げ、違う場所に根付くこともできる。
1つの成功にこだわるのではなく、自分に合った形で成長していく。


「1番」じゃなくても、「自分らしい花」を咲かせればいい。

ヒゲ根だからこそ、自由に伸びて、自分の居場所を作ることができる。


つまり、『ヒゲ根』は環境に応じて伸びることで しなやかに生き抜く力 を持っている。

変化する状況の中で、 自分なりの道を選び、根を張る ーー

    
そこに生まれるのが「主体性」

 


「ヒゲ根」のように、さまざまな経験や関わりを通じて、自分を支えるものが増えていく。

すると、「自分で選択し、行動する力」も育まれていく。


そこに「主体性」が生まれると僕は考えます。


主体性とは、

「自分がやりたいと思うことを、結果がどうなってもやろうとする力」

つまり、そこには 自己決定感・自己効力感・自己有用感 という要素が含まれています。


だからこそ、「自尊心がなくても」「自己肯定感が低くても」、自分らしくいることはできる。

むしろ、「主体性」を持つことが、自分らしく生きる鍵になるんです。

 

  あなたの「自己肯定感」はどんな形?

まっちゃんの子ども時代の話、いかがでしたか?
📌 1番にならなくても、僕には僕の役割があった
📌 日本人には「自尊心は低くても、主体的に生きる力がある」人が多い
📌 自己肯定感は「太い根っこ」じゃなくてもいい。「ヒゲ根」のように支え合う形で強く生きられる

だから、1番じゃなくても大丈夫。
僕たちは、僕たちなりの生き方がある。
大切なのは、「自分なりの役割を見つけ、それを大事にすること」

人は1人1人、自由な存在。
あなたの強みを見つけて、大切にしていきたいですね。

あなたの自己肯定感の形はどうなっているでしょうか?
「1番」にこだわることなく、自分なりの役割を持つこと。
それが「主体性を持って生きること」につながるのではないか?
そんなふうに、あなた自身のこれまでの経験を振り返ってみてください。

「1番にならなくても、自分なりの役割を持っていた」経験はある?
 ➡ その経験を、今の自分にどう活かせそう?

「自分は1番ではないけど、これはできる!」と思えたことは?
 ➡ それを、これからもっと伸ばすとしたら、どんな方法があると思う?

「日本人の自己肯定感は低い」と言われることに違和感を感じたことは?
 ➡ あなたは、どんな形の「自己肯定感」を大事にしていきたい?


ぜひ、あなたの経験や考えをコメントで教えてください!

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あなたの言葉が、誰かの背中を押すきっかけになるかもしれません。

もっと深く考えたい方へ

今週のアメブロ記事の振り返りと併せて、2月21日のnote記事 もぜひご覧ください!
日本人の自己肯定感は本当に低いのか?」や、「自己肯定感ブームの問題点」について掘り下げています。

👉 関連記事 →自己肯定感ブームに警鐘!鍵を握るのはアイデンティティだった

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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土曜日は、午前9時頃今週の記事の振り返りをお届けします。