この三連休の晴れた日、ある程度の距離を歩いたのですが、距離としては、散歩というよりは遠足に近いものがあります。

 

ある日の朝、渋谷駅を起点として、キャットストリートに沿って、表参道にたどり着きました。キャットストリートにはファッション関連の店舗が軒を連ねているのですが、開店前の時間であり、人通りはまばらでした。

 

表参道では、表参道駅に向かって散策し、表参道ヒル、シャネル、ルイヴィトンなどの高級ブランドやアップルストアなどを通り過ぎていきました。

 

表参道ヒルの向かい側に日本看護協会があります。日本看護協会には約75万人の看護職が会員となっていて、職能団体として日本最大級になります。ちなみに、日本医師会の会員数は、約17万人。参考までに、医師資格がある国会議員は20人前後である旨を申し添えます。

 

ここで、散策のトピックに戻るのですが、表参道交差点を左折し、青山通り(国道246号)に沿って歩きました。

 

青山通り沿いに瀟洒な喫茶店があったので、そこで休憩して、モーニングを頂きました。休憩後、同じコースを辿って、渋谷駅界隈に戻ったのですが、まだ歩き足りない。

 

そこで、東急本店前の跡地を通り過ぎ、東京大学駒場キャンパスにまで向かいました。

 

現在、東急本店の建物は取り壊され、更地になっています。まだ、新しい建物の建設は着工していないようですが、周囲が囲われているので詳細は不明です。例えば、基礎工事が進行しているとしても見えないです。

 

東急本店前から山の手通りに至る道は、松濤文化村ストリートと命名されているのですが、これは最近のことです。

 

私が東京大学駒場キャンパスで学生生活を過ごしていた時代、現在の松濤文化村ストリートはありませんでしたし、そもそも複合文化施設、Bunkamuraが設立されていませんでした。

 

東京大学1年生及び2年生であった当時、駒場キャンパス内にあった駒場寮で過ごしていたので、渋谷から駒場寮まで歩いて帰ることはよくありましたし、駒場寮から渋谷まで歩くこともよくありました。

 

その当時、駒場キャンパス内に矢内原公園という小さな公園があったのですが、このあたりに通用門があって、渋谷方面に移動するときにはこの通用門を使っていました。

 

ちなみに、矢内原公園は、矢内原事件を起こして失脚し、その後、東大に復職した矢内原忠雄東大総長にちなんで命名されています。

 

矢内原公園のあたりには、井の頭線を超えた位置にある駒場商店街の近道となる矢内原門と、渋谷方面の近道となる通用門がありました。

 

駒場寮を基準とすると、正門を経由して井の頭線の駒場東大前駅に移動する方向は、渋谷方向と正反対であり、どちらかというと下北沢の方向になります。一方、ここで言及している通用門は、駒場寮を基準とすると、渋谷方向であり、徒歩で移動したときには渋谷への近道になります。

 

その当時であっても、渋谷109から東急本店までは華やかな繁華街でしたが、東急本店を通り過ぎると、閑静な住宅街に変わり、特に、レストラン、喫茶店、小売店などはなく、住宅といっても一戸建てが多く、マンションは少なかったです。

 

その当時、日が落ちてから現在の松濤文化村ストリートを通ったとき、街灯が夜道を照らしていたのですが、現在のように明るいものでなく、一応、街灯があるというだけのものでした。

 

そもそも当時と現在を比較すると、松濤文化村ストリートは拡幅工事がされて、マンションなどの中高層住宅が激増しています。

 

ここで、散策に戻るのですが、山の手通りを渡って、駒場キャンパスにまでたどり着きました。渋谷区松濤の界隈では概ね山の手通りが渋谷区と目黒区との境界になります。

 

現在であっても、駒場キャンパスには上記の通用門が健在でして、そこから駒場キャンパス内に移動し、駒場図書館に無事に到着いたしました。どうやら日頃は意識することがない帰巣本能が発揮して、渋谷から駒場キャンパス内まで無事に移動できたようです。