昨日、令和5年4月18日(火)に米国知的財産法協会(AIPLA)の弁護士グループが新霞が関ビルの灘尾ホールで講演会を行ったのですが、この講演会に出席いたしました。

 

そうすると、AIPLAに関連する昔話を思い出したので、今回はその備忘録になります。昔話といっても、弁理士試験に合格した前後の時期のことです。

 

私は平成8年(1996年)11月に弁理士試験に合格したのですが、その同期となると、蔵田昌敏弁理士(令和30年度日本弁理士会副会長)、小西恵弁理士(令和2年度日本弁理士会副会長)、永岡重幸弁理士(令和3年度日本弁理士会副会長)、塩野谷秀城弁理士(令和4年度日本弁理士会関東会会長)などになります。

 

弁理士試験に合格する以前のことになるのですが、その当時、アラン・キャスパーAlan Kasper米国弁護士(2010年AIPLA会長)は東京オフィスに駐在していて、月に一回のペースで米国特許法について英語で講義なさっていました。

 

この講義の通訳は、井野砂里さんと私の二人でした。

 

その当時、井野砂里さんは、中村合同特許法律事務所の弁理士であり、私は渡邉一平国際特許事務所(現在の東名特許事務所)に勤務していましたが、まだ弁理士資格はありませんでした。ちなみに、渡邉一平弁理士は、2000年以降になってから、日本弁理士会副会長、常議員議長(令和元年度)などを歴任なさいますが、その当時はそのようなことになるとは知る由もありませんでした。

 

井野さんも私も米国で大学院教育を受けており、英語が堪能だったので、通訳を務めました。

 

米国特許法の講義について通訳を務めていると、自ずと米国特許法には詳しくなるとともに、日本特許法との差異を痛感するようになりました。

 

このキャスパー氏の講義を聴講していた一人が、下町ロケットで有名となった鮫島正洋弁護士、弁理士です。とはいっても、その当時、鮫島氏は弁理士でしたが、まだ弁護士資格はありませんでした。

 

平成8年(1996年)に弁理士試験に合格してから、私はユアサハラ法律特許事務所の弁理士になりましたが、その頃、湯浅恭三所長は存命でした。

 

ユアサハラに勤務していた時代ですから、1998年前後のことになりますが、PA会の研修として米国の法律事務所を複数、訪問いたしました。具体的には、サンフランシスコ、ワシントンDC、ニューヨークなどです。この米国訪問で相手の法律事務所と日程調整を担当したのが私になります。

 

サンフランシスコで法律事務所を訪問した後、フィッシャーマンズワーフでディナーがありましたが、そのときのカリフォルニアワインは実においしかった。

 

ワシントンDCでは、アラン・キャスパー氏が所属する法律事務所を訪問し、セミナーを開催いたしましたし、ランチをご馳走になりました。

 

ニューヨークでは、Pennie & Edmondsを訪問したのですが、Pennie & Edmondsはその後、2003年12月31日に解散しています。

 

この米国訪問では浅村皓弁理士(平成5年度(1993年度)日本弁理士会会長)が団長となり、柳田征史弁理士、大西正悟弁理士、福村直樹弁理士、小林純子弁理士、鴨田哲彰弁理士、矢部耕三弁護士など10人前後が参加しました。

 

この米国訪問の資料は散逸しているので、全員の氏名は確認できないのですが、たしか原健三弁護士も参加していたかもしれません。とはいっても、このときの参加者全員の氏名となるとあやふやものがあります。