ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ
この箴言は、ドイツ人哲学者ヘーゲルの「法の哲学」序文に記載されています。
ここでは、「ミネルヴァ」という単語と、「フクロウ」という単語に着目いたします。
「ミネルヴァ」はローマ神話で智恵、工芸、戦争の女神とされています。このような観点から、21世紀の現代であっても、欧米諸国の大学などの紋章にミネルヴァが描かれていることがあります。
次に、「フクロウ」ですが、フクロウは夜行性であり、夜であっても目が見えます。大多数の鳥は昼行性ですが、フクロウは夜行性なので、夕暮れであっても飛翔することができるのです。
とはいっても、ヘーゲルはフクロウの夜行性について記述しているわけではありません。フクロウは智恵のある鳥とされており、智恵のシンボルとなっています。
そうすると、ヘーゲルは、「ミネルヴァ」及び「フクロウ」で智恵に関する何かを伝えたいのでしょうね。
ところで、本書は「法の哲学」ですよね。国の統治とか、国家の機能というような観点で法について考察すると、夜警国家のようなことが浮かんできます。
即ち、自由主義国家のことを夜警国家と批判的に表現することがあります。夜警国家では、警察、軍隊、裁判所などが国家の機能として強調される一方、福祉などは国家の機能として軽視される傾向となります。
夜警国家は英語で、night-watchman stateといいますが、夜に監視する人がいる国家ぐらいの意味になります。
夜警国家night-watchman stateという用語は、19世紀に造語されていますが、17世紀、1642年にオランダ人画家レンブラントは「夜警」the night watchという名画を後世に残しています。「夜警」では、夜、軍人の集団が警備している状況をポートレートとして描いています。
そうすると、軍隊が夜に警備するというのは、遥か昔から連綿と続く軍の任務なのでしょうね。
さて、夜警というような観点からは、「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ」という箴言を考察すると、夕暮れになったので、監視を始めるというような意味になるのではないでしょうか。
また、監視をしているということが分かると、相手が警戒することから、監視をしていることは秘密にされるのではないのかな。
秘密に監視をするというのは、遥か昔から国が実行している行為なのでしょうね。