「神学大全」という古典を後世に残した13世紀の神学者、トーマス・アクィナスThomas Acqinasは、「哲学は神学の婢」という言葉を残したとされている。
英語では、”Philosophy is the handmaiden of theology”となり、ラテン語では、”Philosophia ancilla thelogiae”となる。
この言葉は、神学の重要性を強調するあまり、哲学を侮蔑しているとされている。
文献によっては、この言葉は、トーマス・アクィナスに由来するとしているのだが、元々は11世紀の神学者ペルトス・ダミアニに由来する。英語表記では、Peter Damianであり、ラテン語表記ではPetrus Damianusとなる。
ダンテの著書「神曲」はペルトス・ダミアニに触れているが、ダンテの世界観ではペルトス・ダミアニは極めて高位の世界にいるということになる。
ところで、トーマス・アクィナスの時代、天動説が通説となっており、万有引力の法則は発見されておらず、天体が動く原理は分かっていなかった。
そこで、トーマス・アクィナス神学としては、天体が動く原因として、不動の動者unmoved moverという存在が提唱されている。要するに、不動の動者は神を意味する。
科学が充分に発達していない時代、不動の動者という存在が自然現象の原因とされるのは分かるのだが、十分に科学が発達した20世紀であっても不動の動者が事物の原因として説明する思弁哲学speculative philosophyがある。
即ち、20世紀の哲学者、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは著書「過程と実在」”Process and Reality”などでプロセス神学を提唱したのだが、「過程と実在」”Process and Reality”では不動の動者に言及されている。
ちなみに、プロセス神学という命名は、”Process and Reality”という英語タイトルに由来する。
また、ホワイトヘッドの著書には思弁哲学speculative philosophyという用語が多用されているのだが、ホワイトヘッド哲学は、形而上学metaphysicsに分類されることもある。
ホワイトヘッドの著書は、日本語訳より原語の英語が読みやすい。日本語訳では、何が何だか分からない、というような記述もあるのだが、英語では意味が分かることが多々ある。
21世紀の現代となると、ペルトス・ダミアニの時代やトーマス・アクィナスの時代と異なって、哲学の重要性と神学の重要性は同程度かもしれないし、哲学者を中心として、哲学は神学より重要と主張するかもしれない。