若井晋東大医学部教授は2006年3月に病気が原因で東大を退官しましたが、その後、2021年に亡くなりました。享年、73才。

 

心より冥福をお祈り申し上げます。

 

妻が、逝去した夫について描いた書籍を刊行したのですが、本書を読みながら、アレコレと考えるものがあります。

 

 

若井先生は、永年に渡って、脳神経外科がご専門であり、1996年に獨協医科大学脳神経外科学教授に就任しています。

 

また、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)を通じて、発展途上国の保健医療の向上に関わっていて、東南アジア諸国に医師を派遣するというようなプロジェクトを実行しています。

 

これに伴って、1999年に獨協医科大学から東大医学部に転身したときには国際地域保健学教授に就任しています。

 

ところで、若井晋先生は1947年に群馬県に生まれています。一方、獨協医科大学は群馬県のお隣、栃木県壬生町にあり、出身地といいますか、故郷からそれほど遠くない場所に立地しています。

 

医療の世界では、医師が東京、大阪などの都会、特に大都会に集中する傾向があるのですが、これが問題とされています。

 

即ち、患者さんは都会だけでなく、地方にもいますから、日本全国どこであっても患者さんに医療を提供するためには、都会だけでなく、地方にも医師が必要となります。

 

このような観点からは、関東地方の北部、栃木県壬生町から関東地方の中心、東京都文京区本郷に転身するのは、医療の提供者としては、どうなのでしょうかね。

 

また、東大医学部に転身する際に、専門が脳神経外科から国際地域保健に変わっています。

 

確かに、発展途上国の患者さんに医療を提供することができるようにすることは、崇高な理想ではあります。

 

一方、高貴な理想から現実の社会に観点を変えたとき、大多数の日本人は、どこか遠いところにある海外に居住する現地の人の医療より、日本国内の日本人の医療を重視するのではないのかな。

 

獨協医科大学脳神経外科学教授から東京大学医学部国際地域保健学教授に転身するのは、東大医学部関係者はOKと判断したのでしょうが、大所高所の見地からOKと判断されなかったのではないのかな。

 

若井先生は東大医学部に赴任した2年後、2001年に認知症の初期症状が現れています。