チャールズ・ダーウィンは、1859年に「種の起原」を刊行して、進化論を提唱した。

 

 

 

 

進化論は、人間及び生物に関する思想の根幹を変えており、大きなインパクトがあった。

 

旧約聖書の「創世記」では、神が魚、鳥、家畜、動物を創造し、更に人間を創造している。当時の人々は素直に聖書の教義を信じていたので、神という存在から生物及び人間の起源を説明するのでなく、神という存在を省略して生物及び人間の起源を説明するのは、画期的であった。

 

また、「種の起原」により、人間観が大きく変わっている。要するに、人とは何かという問いに対する回答である。

 

西欧では、人間は動物と全く異なる特別な存在とされていた。心身二元論では、身体という要素では、人間も動物も共通するが、心という要素では、人間は心、精神があるのに対して、動物は心、精神のようなものはない。従って、心、精神性という観点から、人間と動物は全く異なると説明されていた。

 

また、日常生活の経験則として、父親及び母親が人間であると、その子供も人間である。また、子供が人間であると、その父親も母親も人間である。同様に、祖父も祖母も人間であり、更に、曾祖父も曾祖母も人間である。

 

数学的帰納法では、自然数1のときに成り立つことを証明する。次に、自然数kのときに成り立つと仮定したとき、自然数k+1について成り立つと証明する。そうすると、全ての自然数について成り立つ。

 

要するに、数学的帰納法では、人間の親は人間なので、親の親の親というようなことを何代も何十代も何百代も遡っても、人間ということになる。

 

ところが、「種の起原」によると、人間の親の親の親と何代も何十代も何百代も遡った先祖と、サル、霊長類の先祖は共通するということになる。

 

人間とサルで先祖が共通するとなると、遠い、遠い、いとこのようなものであり、人間は動物と異なって、特別な存在という主張が怪しくなってくる。

 

いずれにしても人間は動物と異なって、貴重であり、尊厳があり、かけがえのない存在であるとされている。人間を中心として生物や生物が生存する自然について考える、という人間中心主義は、西欧の主流な思想となっている。

 

「種の起原」は、人間中心主義という西欧では当然とされている思想に打撃を与え、人間観を変えた。

 

ガリレオ・ガリレイは、宇宙に関する思想について、地動説から天動説に転換したが、チャールズ・ダーウィンは、生物の起源に関する思想について、神から科学に転換した。