まず、トロッコ問題について述べる。

 

トロッコがレールの上を高速で走行している。なぜか5人の労働者がレール上にいる。このままではトロッコが衝突し、5人が死亡するのは確実。

 

ところが、レールには分岐点がある。

 

この分岐点で別個の方向に進行することも可能である。

 

別個の方向に進行した場合には、トロッコは5人に衝突せず、5人は無傷のままである。

 

ところが、別個の方向に進行した場合、レールの上に1人がいて、この一人は確実に亡くなる。

 

さて、トロッコはこのまま進行して5人が死亡する結果を招くのが良いか、それともトロッコが方向を変えて一人が死亡する結果となるのが良いのか。

 

功利主義という観点では、死亡する人が少ないのが良いということになる。

 

ここで、第二次世界大戦末期、1945年前半にトピックが変わる。

 

米軍は沖縄に上陸し、沖縄は戦場に変わった。地上戦は日本軍及び沖縄県民に多大な被害をもたらしたが、米軍にも被害があった。

 

米軍が沖縄を制圧した後、米軍、連合国軍はどのような行動をすべきか。

 

当時の日本首脳部が主張するように、本土決戦をするという選択肢がある。

 

この選択肢では、沖縄戦と同様な地上戦が本土で繰り広げられることを意味する。

 

すると、米軍にも日本側にも多数の死傷者が想定される。

 

一方、広島に原爆を投下するという選択肢がある。この選択肢では、米軍、連合国軍に死傷者はほとんど発生しない。

 

結局、広島に原爆が投下されるという選択肢が選ばれた。その結果、米軍、連合国軍に発生する死傷者数は最小限に抑えられ、本土決戦という選択肢よりはるかに少なくなった。

 

原爆投下の背景にある哲学は、功利主義である。

 

哲学は机上の空論でなく、現実の政策に生かされている。