ドイツ人哲学者カントは「道徳形而上学原論」で自律と他律について論じている。
自律では、他からの命令、強制ではなく、自らの規範に従って行動する。
一方、他律では、自らの意思によらず、他の命令、強制によって行動する。
自律と他律は互いに対立する概念である。
さて、マンハッタン・プロジェクトで原爆の開発に協力した科学者の一部は、原爆の開発成功により、大量に人が亡くなることがあっても、科学者、研究者はその結果に対して責任を取る人がないと論じている。
社会的無責任と称される理論になるが、この理論の基盤はカントが提唱する他律にある。
科学者、研究者は上司の命令に従っただけである。要するに、自律的でなく、他律的な行動をしたのに過ぎず、責任を負わない、と立論している。
ところで、カントの道徳哲学は義務を重視し、義務を果たすのは正しいとされている。
カントの道徳哲学では義務を重視する一方、義務を果たした「結果」については、さほど重視していない。
カントの道徳哲学のこのような側面は、第二次世界大戦のような非常事態ではとんでもない「結果」を招くことになる。
ここでは、「結果」という分かりやすい単語を使っているが、英語で言うとconsequenceという用語がふさわしい。consequenceの訳語として帰結という用語になることもある。
consequenceでは、行為、行動の直接的結果というより、2段階、3段階のような多段階の因果関係による結果を意味することがある。
ナチスドイツは第二次世界大戦中にユダヤ人600万人を強制収容所で毒ガスを使って殺害した。
ユダヤ民族大虐殺の責任者、アイヒマンがイスラエルの法廷で戦争責任に問われたとき、カント哲学を実践した旨が法廷の証言で明らかにされている。
一方、ベンサムが提唱した功利主義は、義務より結果を重視するという側面がある。