今日、6月5日、土曜日に日本被害者学会第31回学術集会で平井紀夫全国被害者支援ネットワーク特別顧問・前理事長が、被害者支援活動の現状・課題と今後の展望について講演なさった。

 

インターネット会議システムを経由して、この講演を聴講していたのだが、平井紀夫氏は平成8年9月に息子さんが北京で殺害されたことに言及した。北京の日本大使館から電話連絡があったときの衝撃を淡々と述べていた。大きな悲劇について語っているのにもかかわらず、格別に感情がこもっているというわけではなく、平静に当時のことをスピーチしていた。

 

学会終了後になにか気になり、インターネットで検索したとこと、公益財団法人「全国被害者ネットワーク」理事長として平井紀夫氏がマスコミのインタビューに応じた記事を発見した。

 

 

引用開始

 

(平成8年)9月8日夕、自宅の電話が鳴った。「息子さんが亡くなった。明日(現地に)来てほしい」。北京の日本大使館員を名乗る相手からの突然の宣告に、その場に座り込んだ。

 

北京を旅行中だった大学生の長男、明夫さん=当時(23)=は、宿泊先のホテルで現金を奪われ、殺害された。容疑者の男女はすぐに逮捕されたが、

 

引用終了

 

実は平成8年9月に私は北京を旅行していた。

 

今となっては当時の詳細を覚えていないのだが、北京国際空港から中国に入国して、北京市内のホテルに数泊、宿泊し、その後、北京国際空港から成田空港まで直行便で移動した。

                                                                     

その当時、北京にある大学院に高校時代の友人が留学していたので、その友人が北京国際空港まで自動車で迎えに来てくれたり、北京市内を観光案内してくれた。

 

友人は北京で起きた日本人殺人事件のことは一切、言及しなかったので、この事件のことは全く知らなかった。

 

平成8年9月、北京市内のホテルという時間、場所を考えると、もしかして、もしかして、私が被害者になっていたかもしれない。