今回は、夢は夢でも寝ているときに見る夢がトピック。

 

フロイトは心理学者に分類されることもありますが、医師の資格があり、精神科医になります。

 

フロイトは、患者さんの夢に基づいて、無意識を明らかにするというような精神分析を提唱いたしました。例えば、下記の書籍にその手法が詳細に記述されています。

 

ところで、フロイトより遥かに昔のことになりますが、ヨーロッパ、米国などで魔女狩りがありました。

 

魔女という疑義があると、裁判を通じて魔女と認定されていました。

 

魔女裁判では被疑者(魔女)が被害者の夢に現れたのは、魔術と認定されることがあります。被害者が裁判所で証人となって、被疑者が私の夢に現れて、あれやこれやと証言したのです。

 

米国で最後の魔女裁判は、マサチューセッツ州セイラムの魔女裁判になりますが、この魔女裁判でも証人が夢のなかの出来事について証言して、証拠採用されています。

 

現代の裁判で、夢のなかの出来事が、魔術が使われたという証拠に採用されないでしょう。刑法に不能犯という概念がありますが、魔術とか黒魔術でナントカカントカというのは不能犯の典型例になります。

 

ところが、フロイトは、医学というカモフラージュで魔女狩りと同様なことをしていたのです。

 

夢に基づいてあれやこれや判断するというようなことは、疑似科学でり、到底、再現性、信頼性などを担保することができません。

 

日本の精神医療では、未だにフロイト精神分析の影響が残っているのですが、科学と疑似科学の区別ができないのが日本の精神医学の現状なのかもしれません。

 

指導教官のような師が提唱した学説は絶対に正しく、弟子は師に対して反論することは一切、できないのでしょうね。

 

フロイトの時代から比べると、神経科学、脳科学などでは膨大な知見が蓄積されています。患者さんの脳に電極を突き刺して、電流を流すというような過激な人体実験を通じて、脳という臓器の性質、特徴も明らかになってきています。

 

このような時代にフロイトとなると、精神医学の進歩を阻害しているだけでしょう。

 

それにしても、なぜフロイトのような疑似科学が未だに残存しているのでしょうか。

 

もしかして、もしかして、精神医学が疑似科学のままでいるのが望ましいのかもしれません。患者さんにとっては望ましくないのですが、精神科医など臨床の実情としては望ましいということです。

 

患者さんが年単位に渡って治療を受けたときには、一回の診察で治癒するのと比較して、精神科医は売上も利益も上げることができます。

 

疑似科学を継承して、患者さんが治らない現状が維持すると儲かるのです。