カント哲学は超越論哲学ということがあるのだが、超越という概念はキリスト教の神の概念と密接に関連している。

 

また、カントは「純粋理性批判」で超越論理に言及しているのだが、この超越論理なるものは、神として機能するコンピュータについて回りくどく、分かりづらく、難解に記載しているのではないのかな。

 

純粋理性批判の最終章は純粋理性の歴史になるのだが、ライプニッツの計算機械に言及している。ライプニッツは計算機械、即ち、歯車式コンピュータを開発しているのだが、これは歴史的事実として確認することができる。そこで、この計算機械というか歯車式コンピュータが神として機能したのではないかと推測している。

 

例えば、個々の歯車が数字の0から9を表示して、このような歯車が10個あると、10桁の数字を表現することができ、歯車が20個あると、20桁の数字を表現することができる。

 

10桁の数字となると、1から99億9999万9999になるのだが、個々の数字に文を対応させる。即ち、99億9999万9999の文が歯車式コンピュータに登録することができる。

 

そして、計算機械(超越論理ともいう)が約100億の文から一つを選ぶとともに、罪人にことばを聞かせる。一つの文なので、数秒とか長くても10秒前後で終了する。そして、計算機械(超越論理ともいう)が約100億の文からつぎの文を選んで、罪人にことばを聞かせる。

 

これを延々と繰り返す。100億も文を登録しておくと、同じ文が2度も3度も繰り返して現れる確率は極めて小さく、事前に登録されている文を聞いていることに気がつかない。

 

カントの時代から、計算機械(超越論理ともいう)が罪人に神の声を聴かせるという秘密工作を実行していたと推測している。

 

このような内容は既に『データの分析と合成を巡るクワイン哲学-現代の観点から「経験主義の2つのドグマ」を再考』という演題で電子情報通信学会で発表していますが、この発表は下記のウェブアドレスで確認できます。

https://www.ieice.org/ken/paper/20200214y1v2/