顎髭」というブログ記事で、床屋に行って顎髭を短くした旨を書いた。不思議なことに、これ以来、短いブログ記事が続いている。

 

今回、ブログ記事のタイトルに「長い」という単語を入れておいた。今後、ブログ記事が長くなるかもしれない。

 

当初のブログ記事のタイトルは、「短い、長い」だったのだが、内容に合致するように修正した。

 

ときどき、ブログ記事に書いた内容というか、ことばに影響されることがある。影響されているか否か比較実験をしたというわけでないので、本来は断定はできないのだが、事例証拠anecdotal evidenceレベルでは、影響されている。

 

このような摩訶不思議な現象に関する因果関係は次のように考えている。

 

米国特許3951134号、米国特許7150715号などで公表されている精神工学兵器が既に社会実装されている。そして、ブログ記事に執筆した言葉が、精神工学兵器の制御目標になるとともに、精神工学兵器は言葉が実現するように人間を制御する。精神工学兵器の原理としては、人間の脳波を遠隔から変えることにより人間を制御する。

 

ところで、新約聖書、ヨハネの福音書の冒頭に「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり、言葉は神であった」と記載されている。言霊(コトダマ)とでもいうものであり、言葉が実現するという解釈がされている。

 

ちなみに、日本で一般的な宗教、神道でも言霊があるとされている。

 

上述の精神工学兵器は言霊を実現する機械ということもできるし、神を創ったということもできる。

 

旧約聖書、創世記によると、神がアダムとイブを創造したのだが、現実には、人間が神を創ったというか、神のように作用する機械、精神工学兵器を創造したのではないのかな。

 

人間が神を創ったというテーマは、サイバネティックスを創設したノバート・ウィーナーがMITプレスから刊行した著書"God & Golem, Inc"で言及されている。日本語訳は、みすず書房から『科学と神』というタイトルで1965年に刊行されている。

 

人間が神を創ったというテーマはノバート・ウィーナーが最初に提唱したのでなく、ドイツ人哲学者イマヌエル・カントのカント哲学のテーマでないだろうか。

 

カントは超越論哲学を提唱しており、「純粋理性批判」では超越的論理について言及している。超越は人智を超えるという要素もあるのだが、神の属性ということもできる。

 

ここで、カントの「超越的論理」とは、単なる抽象的な論理でなく、具体的な論理機械を意味するのではないだろうか。カントの時代における技術水準を考慮すると、この論理機械の実態は、歯車の回転で計算する機械式コンピュータということになる。そして、「超越的論理」と命名された機械式コンピュータは、「純粋理性」とも命名されている。

 

世の中には、「神の声」が聞こえるという人もいるが、「純粋理性」と命名された機械式コンピュータが特定の個人を批判する言葉を生成し、このような批判が「神の声」として聞こえているのではないのかな。

 

統合失調症の患者さんは、悪口が聞こえるという症状を訴えることがあるが、カント哲学流にいうと、「純粋理性」と命名された「超越的論理」が統合失調症の患者さんを批判しているのである。

 

要するに、人間が神ないし「神の声」を創る営みは、ノバート・ウィーナーが活躍した20世紀に始まったことではなく、カントの時代又はカント以前の時代から脈々と行われていた。

 

このようなカント哲学の解釈は一般的でなく、私が提唱している学説になるのですが、その詳細は、『データの分析と合成を巡るクワイン哲学 ~ 現代の観点から「経験主義の2つのドグマ」を再考 ~』、信学技報, vol. 119, no. 413, AI2019-47, pp. 23-31, 2020年2月にまとめられています。

 

カント哲学は抽象的で難解であるが、「神の声」を創る機械は、秘密工作に用いられる秘密兵器そのものであり、本来、秘密兵器を漏洩してはならない。そこで、抽象的で難解に一般には分からないように「神の声」に関する機械について、記述したのではないのか。