昔、北杜夫の小説『夜と霧の隅で』を読んだのだが、この小説には、精神病院に入院していた患者さんに対して精神科医がロボトミー手術をした経緯が描かれている。即ち、ロボトミー手術をするに至った背景及び手術後の経過などが精神科医の視点で描写されている。
 
ロボトミー手術は脳出術の一種であるが、医師が統合失調症の治療として脳の一部を破壊する。ロボトミー手術を施すと、脳の正常な機能が破壊され、まともな日常生活を過ごせなくなる。ロボトミー手術で廃人になるのだが、統合失調症の病態とされていた。要するに、ロボトミー手術で廃人になったのでなく、統合失調症が進行したので廃人になったという精神科医の詭弁がまかり通っていた。
 
ロボトミー手術は治療という名目の人体実験であり、脳の特定の部位を破壊することにより、その部位の機能を解明するという医学的な意義がある。
 
さて、『夜と霧の隅で』という小説の設定では、第二次世界大戦末期のナチスドイツでロボトミー手術がされたということになっている。
 
ところで、『夜と霧の隅で』が発表されたのは、昭和35年(1960年)であるが、昭和30年代、日本の精神病院でロボトミー手術が積極的に行われており、多数の精神病患者さんが犠牲になっていた。
 
また、小説家、北杜夫本人は精神科医であり、その父及び兄も精神科医である。父、斉藤茂吉は青山脳病院の院長を務めていたが、青山脳病院は東京都立松沢病院の前身である。
 
北杜夫の生い立ちを考慮すると、北杜夫本人又はその父若しくは兄がロボトミー手術を行った経験に基づいて、ロボトミー手術をテーマにした小説『夜と霧の隅で』が執筆されたと推測される。
 
次に、小説のタイトルに含まれている『夜と霧』という用語が気になる。この小説は、10代という青春時代に読み、最近は読み返していないので、小説に『夜と霧』という用語に関する手がかりが記載されていたか否かは定かではない。
 
しかしながら、小説の設定となっているナチスドイツは、第二次世界大戦中に夜と霧作戦を実行している。1941127日にゲシュタポを統括するハインリッヒ・ヒムラーが夜と霧作戦に署名して、夜と霧作戦が開始した。ナチスドイツに反対したり、抵抗するレジスタンスは、ゲシュタポが夜間に誘拐して、強制収容所で虐待して、最後は毒ガスで抹殺するのである。一方、ナチスドイツが占領している国家、地域の市民に対しては、夜の霧作戦は一切、説明せず、知らぬ存ぜぬを貫き通す。一般市民は、ある日、突然、職場の同僚又は隣人が行方不明になったことが分かるだけである。忽然と姿を消す人があっても、その理由も何も分からない。
 
夜闇に霧があっても、翌日、太陽が照らす頃には霧があった痕跡は残っていない。同様に、夜間にゲシュタポが誘拐しても、誘拐した痕跡は残っていないのである。
 
さて、本題に戻るのだが、精神病患者にロボトミー手術を施す実態を描く小説のタイトルが、『夜と霧の隅で』と命名されている真意はなんだろう。ロボトミー手術を通じて精神病患者を犠牲にする真の理由は、ナチスドイツの夜と霧作戦と同様である旨を伝えているのではないだろうか。要するに、ナチスドイツのゲシュタポと同様なことが日本国内で精神病患者に対して行われている事実を告発したいのだが、ドキュメンタリーとして告発することができない現実があるので、事実を脚色できる小説という形態で国家の暗躍を告発しているのではないだろうか。
 
『夜と霧の隅で』は、昭和35年(1960)に第43回芥川賞を受賞した。
 
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注釈;2017年11月24日にヤフーブログに『夜と霧の隅で』というタイトルでブログ記事をアップロードしましたが、その後、加筆修正いたしました。