きょうで事故から29年 日航ジャンボ機墜落事故


 29年前、日本航空の羽田発伊丹便が上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員520人が死亡しました。遺族らは墜落現場のふもとに集まり、事故が起きた時刻に合わせて灯籠を流し、犠牲者の冥福を祈りました。


 祖父を事故で亡くした若本峻さん(22):「事故を経験した人が、どういう思いで今まで歩んできたのかを聞いて知ることで、思いを受け継いでいけたらと思っている」


 灯籠流しは今年で20回目で、JR福知山線の事故や、おととしに関越道で起きた高速バス事故の遺族も参加するなど、交通機関の安全を祈るという意味も込められています。


 関越バス事故で娘を亡くした岩上剛さん(42):「私たちだけではできないこともたくさんあるので、協力し合えばいろんなことができると思って参加しました」


 空の安全を巡るトラブルが相次いでいますが、墜落事故で9歳だった息子を亡くした女性は、「空の安全を守るのは国や航空会社だけではなく、遺族を含めた一人ひとりが担っている」と語っていました。決して過去の出来事として終わらせずに、事故の恐ろしさや犠牲者の無念を伝えるという思いを胸に、遺族らは12日の朝から慰霊登山へ向かいます。


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日航機墜落事故があった時代を振り返ります。

 

1985年(昭和60年)は、戦後40年の節目になることもあり、

終戦の日、8月15日に中曽根首相が靖国神社を

公式参拝するか否かが注目されていた。

 

1985年以前は、

公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、

公職者を随行させないという条件のもと、

閣僚は、私人として靖国神社を参拝していた。

 

そこで、1984年8月に、私的諮問機関として、

「閣僚の靖国神社公式参拝に関する懇談会」が発足して、

閣僚の靖国神社公式参拝が憲法20条に規定する政教分離原則に

違反するか否かという点について

最高裁判例などを検討した。

 

「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告書は、

1985年8月9日に提出され、

首相の政治決断により憲法解釈が変更された。

 

その3日後、1985年8月12日、

JAL123便ボーイング747SRが

群馬県多野郡上野村御簾高山に墜落した。

 

墜落場所と垂直尾翼が破壊された場所は異なり、

相模湾上空を飛行中に垂直尾翼が破壊された。

 

墜落した場所、群馬県多野郡は群馬3区であり、

鷹派、中曽根康弘首相の選挙区である。

 

JAL123便墜落から3日後、

1985年(昭和60年)8月15日、

中曽根康弘首相は靖国神社に公式参拝している。

 

靖国神社参拝に反対する国家は

日航機を撃墜する動機があるかもしれない。

 

ちなみに、2014年7月17日、

マレーシア航空17便オランダ・アムステルダム発

クアラルンプール行きがウクライナ東部で墜落し、

乗客・乗員298人全員が死亡した。

 

2014年7月23日午後7時(UTC+8)、

台湾南部の高雄国際空港発、澎湖島馬公空港行きの

定期旅客便トランスアジア航空222便(GE222便)が、

着陸を失敗して、墜落し、乗客54名、乗員4名のうち、49名が死亡した。

 

2014年7月24日未明、ブルキナファソの空港から

アルジェリア航空5017便(MD83型機)が出発して、

マリで墜落し、乗客・乗員116人全員が死亡した。

 

軍隊が撃墜したことを公表するケースがある一方、

軍隊が撃墜したことを否定すると、

別個の理由が原因とされる。