モザンビークを訪問中の安倍総理大臣は、同行記者団との懇談で、東京都知事選挙では東京の課題をバランス良く議論すべきだと述べ、脱原発を掲げて出馬に向けて最終調整している細川元総理大臣をけん制しました。

 (政治部・千々岩森生記者報告)
 細川元総理の出馬について聞かれた安倍総理は、まず「都民の関心が高まるのは良いことだ」としました。そのうえで、安倍総理は、東京は「待機児童の解消」や「パラリンピックに向けたバリアフリー化」、さらに、「首都直下型地震への対応」などを抱えているので、さまざまなテーマをバランス良く議論すべきだとしました。また、「脱原発」については、「議論されると思う」としたものの、「エネルギー政策は国民皆の課題だ」と述べ、東京に限ったテーマではないので、主要な争点にすべきではないとの思いをにじませました。安倍総理の口からは直接、「細川元総理」や「脱原発」という言葉は聞かれず、あえて避けているようにも見えました。そのことがかえって安倍総理の警戒感を浮き彫りとさせました。

安倍首相が指摘した通り、
東京都知事は様々な政治的課題に対処することが求められます。

原発などのエネルギー政策、
田最神氏から連想される防衛政策、防災対応以外にも、
様々な政治的課題はあります。

ところで、細川氏の祖父は、近衛文麿元首相です。

戦前は五摂家など貴族制度があり、近衛家は五摂家の1つです。

戦後、日本国憲法が制定され、貴族制度が廃止されました(14条2項)。

細川元首相が東京都知事に就任するのは、
貴族制度の実質的な復活になるので、
憲法14条の観点から問題ですね。

以下は一種の昔話です。

第1次近衛内閣は、

1937年6月4日から1939年1月5日まで続いています。

 

1937年7月7日、近衛内閣は盧溝橋事件を起こしており、

満州独立だけで満足せず、更に、北京にまで戦端を拡大したのです。


第2次近衛内閣は、1940年7月22日から

1941年7月18日まで続いています。

 

1940年7月26日、「大東亜新秩序建設」(大東亜共栄圏)を

国是とし、国防国家の完成を目指すことなどを決めた

「基本国策要綱」を閣議決定しています。

 

1940年9月27日に、日独伊三国軍事同盟を締結しています。

 

3次近衛内閣は、1941年7月18日から同年10月18日まで続いており、1941年12月の真珠湾攻撃の直前で終わっています。

 

近衛文麿元首相は、日本軍に大量虐殺を命じた責任者であり、

日本を滅ぼすのに尽力した極悪人です。

 

極悪人の孫が首相になったり、東京都知事になるのですから、

日本の将来は危ういですね。

 

ヒットラーの孫がドイツ首相になるようなものです。

 

日本国内では現代であっても、

戦争犯罪を認めない勢力があります。


戦争犯罪人の子孫が政治家として活躍しているからでしょうね。