日本の領土とサンフランシスコ平和条約
太平洋戦争が終了して、昭和20年9月2日に、ミズーリ号で降伏文書に調印し、連合国最高司令官が日本の統治を開始しました。
1951年9月8日に署名したサンフランシスコ講和条約により、
連合国最高司令官による統治から脱却し、日本は主権を回復しました。
日本の領土の範囲は、日本との平和条約、
通称、サンフランシスコ講和条約第2条が規定しています。
北方領土に関する規定
筆者は、国後島、択捉島など北方領土は日本の領土という日本政府の見解を
素直に信じていました。
ところが、サンフランシスコ講和条約第2条を読んだとき、考えが変わりました。
2条(c)は下記のように規定しています。
(c) 日本国は、千島列島並びに
日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の
結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対する
すべての権利、権原及び請求権を放棄する。
千鳥列島の解釈
千鳥列島は、地理的名称なので、世界地図を見てみます。
北海道の根室岬からカムチャッカ半島まで群島が連なっており、
地図では、歯舞島、色丹島、択捉島、国後島は千鳥列島の一部になっている。
これに対して、日本政府は、歯舞島、色丹島は千鳥列島の一部でないとか、
歯舞島、色丹島、択捉島、国後島は千鳥列島の一部でないとか、
千鳥列島の一部でない理由を明確にすることなく、主張している。
ところで、平和条約の英文では、"the Kurile islands"と記載されており、
定冠詞"the"が付されている。
平和条約の1条又は2条(a)、(b)で
定冠詞を付けることなく千鳥列島について言及して、
2条(c)に定冠詞を付けて再度、言及しているのではない。
このような定冠詞の用法は下記のように解釈される。
千鳥列島は、複数の島から構成されており、
定冠詞"the"により、千鳥列島を構成する全ての島に言及していることを意味する。
即ち、英文の平和条約2条(c)について、通常の解釈をすると、
日本は千鳥列島を構成する全ての島を放棄していることになる。
署名
もっとも、当時のソビエト連邦共和国、現在のロシアは、
1951年9月8日の平和条約に署名していない。
平和条約は、日本、及び、49カ国の連合国が署名している。
ソビエト連邦共和国は連合国であるにもかかわらず、署名をしなかったのである。
その後、日本とソビエト連邦共和国又はロシアとの間で、
平和条約は未だ締結されていない。
日本政府は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約で放棄した北方四島を
取り返そうと、無益な外交交渉を50年以上、継続していただけなのかもしれない。
日本の法律解釈の特徴
日本では、形式的には、立法、行政、司法が独立しています。
裁判所が、法律の解釈について、判断する最終的な権限があります。
日本国に対して行政訴訟を提起した場合、
裁判所は、通常、行政を勝訴させています。
例えば、サンフランシスコ講和条約2条(c)に規定する千鳥列島について、
外務省が摩訶不思議な解釈を提示すると、
裁判所は外務省の解釈を採用すると想定されます。
しかし、このような日本で独自に発展した裁判所の恣意的な法解釈は、
法治国家、法の支配、三権分立など法制度の基本が定着している
西欧社会(ロシアも西洋です)では通用しないのです。
ソビエト連邦共和国、ロシアが、北方四島を返還しないというのは、
サンフランシスコ講和条約2条(c)を検討すると、当然と考えます。
簡単に言うと、「一旦、放棄した島を返してくれと言われても」ということです。
結論
日本政府は、歯舞島、色丹島、択捉島、国後島は日本の領土を主張しています。
一方、ロシア政府は、歯舞島、色丹島、択捉島、国後島はロシアの領土と
主張しています。
日本政府の主張が正しいとよいのですが、
日本政府の主張が正しいとは限らないのです。
尖閣諸島、竹島についても、日本政府は日本の領土と主張していますが、
正しいとは限らないのです。
一部の日本の政治家、日本国民は、
北方領土、竹島、尖閣諸島は日本の領土とであることは当然としていますが、
国際社会では、どちらの国家の領土か明確でない、と判断しています。
領土問題でナショナリズムに火が付いて抗議運動などに着手する前に、
これらの領土が本当に自国の領土か否か法的に判断することがよいでしょう。