8月9日、長崎市で平和記念式典が開催され、
野田首相、欧州連合の代表、駐日米国大使などが列席した。
長崎で原爆が落とされた惨禍の原因は、原爆なので、
原爆を含めた核兵器を廃止して、
核軍縮を推進するという政治的メッセージが込められている。
ところで、長崎の原爆投下を阻止できたかという観点で
歴史を検討する。
日本政府の中枢である枢密院の指示のもと、
帝国海軍が、真珠湾の米国海軍基地を奇襲攻撃して、
太平洋戦争が始まった。
すると、太平洋戦争を開始しなければ、
長崎原爆投下はなかったのである。
長崎原爆投下の直近には、
広島原爆投下があった。
すると、広島原爆投下の直後に、
日本政府、即ち、枢密院が降伏しても、
長崎原爆投下は阻止できた。
当時の枢密院には、
昭和天皇を始めとして4人が天皇家から出席しており、
更に、首相などの内閣の閣僚が出席している。
軍隊出身者は、陸軍大臣、海軍大臣に限られず、
それ以外の大臣ポストも占めていた。
端的に言って、昭和天皇中心の軍事政権が維持されていた。
1945年4月7日から1945年8月17日までは、
鈴木貫太郎が首相だった。
鈴木貫太郎は、1989年海軍大学校を卒業し、
その後、海軍に勤務して、順調に出世していった。
日露戦争でも戦い、その後、
1923年には海軍大将になっている。
1929年には天皇に仕える侍従長になっている。
枢密院副議長、枢密院議長を経て、
1945年4月に首相の座を射止めた。
枢密院会議では、昭和天皇が了承しない限り、
戦争開始、戦争終結などの国家の決定ができない。
昭和天皇による終戦の決断が遅れ、
戦争の惨禍が拡大したのである。
ちなみに、ポツダム宣言の受諾を検討する枢密院会議では、
ポツダム宣言の受諾には、「国体護持」を条件を追加した。
即ち、万世一系の天皇を中心とする国家統治体制を維持することが条件とされていた。
日本国憲法は、第1章に天皇に関する規定が設けられ、
皇室に関する詳細は皇室典範が規定されている。
これらの規定により、世襲制の天皇が国家元首の地位となっており、
昭和天皇は、ポツダム宣言受諾に関する政治闘争に勝利したのである。
昭和20年の春から夏にかけて、枢密院を舞台として、天皇一族が未来永劫に渡って日本における特権階級の地位を維持するという政治闘争がされており、その政治闘争の過程において、広島に原爆が投下され、長崎に原爆が投下され、原爆被災者が犠牲にされたのである。
昭和天皇、及び、帝国陸軍、帝国海軍に、広島、長崎の原爆投下に関する真の責任があるのだが、核兵器が悪いと論点をすり替えている。
長崎67回目の原爆の日
平和宣言、福島に寄り添う
長崎は8月9日、戦後67年の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、原爆投下時刻の午前11時2分に参列者が黙祷(もくとう)を捧げた。田上富久市長は平和宣言で核兵器廃絶を訴え、「放射能に脅かされることのない社会」を目指す考えを表明。原発に代わる新しいエネルギー政策実現への道筋を示すよう政府に求めた。
東京電力福島第一原発事故後の昨年、田上市長は歴代市長で初めて脱原発を主張。今回は政府に具体的な行動を迫った。原発から出る高レベル放射性廃棄物にも言及。「ため込んだ膨大な量の処分も先送りできない課題」と位置づけ、国際社会に解決への取り組みを呼びかけた。
福島の人たちに「放射能の不安におびえる日々が続くことに心を痛めている。長崎市民は寄り添い、応援し続ける」と誓った。
原爆の被害について、1945年末までに約7万4千人が亡くなり、生き残った人も放射線の影響でがんなどの発病率が高くなっている実情を指摘。「無差別に命を奪い、長年にわたり苦しめ続ける核兵器がなぜ禁止されていないのか」と核兵器の非人道性を問いかけた。
核保有国に廃棄を義務づける核兵器禁止条約や、締結が進む非核兵器地帯など、国際的な枠組みづくりの機運が高まっているとして、被爆国としてのリーダーシップ発揮も政府に求めた。
野田佳彦首相はあいさつで「核兵器廃絶に向けて、非核三原則を堅持する」と約束。原発事故にふれて「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と述べた。
2010年に国連事務総長として初めて長崎を訪れた潘基文氏は被爆地との連帯を誓うメッセージを寄せ、「核拡散防止の必要性を強調しながら、核兵器を究極の安全保障とたたえることはできない」と強調した。
式典には、政府代表が昨年初めて出席した米国から、ジョン・ルース駐日大使が参列。過去2番目に多い41カ国と欧州連合(EU)の代表が集まった。福島県からは全村避難を強いられた川内村の遠藤雄幸村長や、いわき市の中高生34人らも参列した。
被爆者の平均年齢は77歳を超えた。この1年間に3305人の死亡が確認され、原爆による死者は計15万8754人になった。(花房吾早子)