加えて、俺いまだにXPだよ・・・。
弱り目に祟り目に落ち目のバードです。
何で今まで気づかなかったのか!
と、ネットの悪人は思ってるんでしょうか?
それとも今までイイ思いしてるんですかね。
さて、4月に読んだ本ですが。
今回は当りの2冊についてだけ書きます。
両書ともリクエストした本です。
「安楽死を選ぶ」 シャボット・あかね
NVVE=オランダ自発的生の終結協会。
多分日本に該当する協会がないので直訳だろうな。
団体の性質上会員はしょっちゅう亡くなるらしい。
『老齢・疾病・事故は、人生の負担を生命より重くする事も有る』
何より、自分から死を選ぶ事が出来ると言う考え方に衝撃。
今までどおりの生き方が出来ない=自己の尊厳を保てない。
が理由で自ら死を選ぶ。
いやあ、戸惑いましたね。
それがキリスト教国での話ですから。
加えて、オランダは新教の国。
しかし、どちらかと言うとオランダ国内の旧教の方が
この制度を受け入れていると言うのに又驚きました。
旧教の方が確実に反対しそうな気がしたのですが。
覚えている一人のおばあさんの例は、
庭の手入れも足腰が弱り億劫になり、
階段の昇り降りもきつくなり人で暮らせなくなる。
読書をするのが楽しみで、目が悪くなりそれもきつくなる。
それより、集中力が減って行き読書しても楽しめなくなる。
この現実をこのまま受け入れる事が出来ない。
とか言う理由で自らの死を選択します。
オランダはかかりつけ医制度らしく。
その医者に頼んで、もう一人ぐらいセカンドオピニオン医に訊いて。
晴れてゴーサイン!?
薬を飲んでではなく、何かに薬を混ぜ込んで食べて亡くなります。
家族の居る前で食べる人もいるし。
目の前で亡くなって行きます。
当然家族にも相談をしますが、反対する人も有り賛成する人も居る。
自分だったらどう受け止めるのだろうと????と、思いましたね。
このような制度が突然に出来た訳でもなく。
徐々に紆余曲折、試行錯誤して今の状態に有る。
と言った方がいいでしょうね。これからもっと変わるかもしれませんから。
いやあ、衝撃的でしたね。
国が替わればココまで変わるか??と言う驚き。
このように究極の選択が出来るのが受け入れられていると言う国風。
私は元々法なんて、変わるものだし、全く絶対的なものではないと思っていましたが。
日本でこんなのやったら犯罪ですよ。
そういう人が前に居ましたよね?
これだけ書いても衝撃の十分の一も伝えられていません。
是非、読んで欲しいですね。
書いている人もウィットがあり。
とても面白く書かれています。
この本自体第二弾らしく、第一弾を探してみようかな。
「天才を考察する」 ディヴィッド・シェンク
’57カリフォルニア州で育った日本人の子供と、
日本で育った子供の身長差は12.7センチあった。
1900年のIQ受験者、20世紀後半の平均を100とすると、
なんと60ぐらい・・・。
別に天才が増えたわけじゃないんですよね。
人類の進歩が止まってた訳でもないんですよね。
ネコのレインボーと、クローンのCc(カーボンコピーの略)は、
外見が違う、毛色も違う、大家も違う。年齢差が有るとは言え性格も違う。
完全な複製とは程遠いらしい。
ちゃんとDNA検査で同一遺伝子を持ってるとなっていてもこの歴然の差。
ましてや双子でも違うのは当たり前。
よくTVとかである、生き別れた双子の恐るべき共通事項の話。
あれウソですから、違っている所を言っていないだけ。
こんな所からDNAで天才や才能は発現・抑制はされないと言う結論。
産まれてからの環境の方がとてつもなく大事。
世に言う天才モーツアルト。
彼は神童と言われていますが。
彼が子供の頃弾いていた曲は現在ではもっと小さな子でも弾ける。
子供の頃作曲した曲は何処かから盗って来た様な曲。
モーツアルト自身が言っている、
曲を書くのに物凄く考えている、何十回も繰り返し考えてる。
生活保護を受けている家庭と、
専門的な職業についている家庭とでは。
毎日使われる単語に1500もの差が有る。
コレを毎日繰り返すだけでどれだけ子供の成長に差が出るか。
この本から導き出される事は、
天才は産まれる者ではなく、造られる者と言う事。
さて、この話を九州で水泳でトップに登りつめた人に訊きました。
水泳やっていて、この人には才能で負けるな~とか思った事ある?
で、このお方の返事は。
水泳やり始めて初日で上級者の方に入れられて。
私、ホント練習嫌いでした~~~。
才能は有ったんでしょうね。
ほら!こう言う人が居るんだよ!!
さて、この本は競輪場で読んでいました。
あまりに面白すぎて、エンジェルズ様たちが出てくる3:00過ぎても読んでいました。
今月はこの2冊が当りでしたね~~。
ただし天才の方は、400P中。
200Pが注釈と言うのが何と言うか・・・。
実質200Pでしたからね。
残りの本は後ほど。