こんばんわ~rbです。今回は久々に作ったガンプラの記事を書こうかと。
前にザクのF2型を買って放置してたので、作ってみました~
写真うp
こんな感じです。スナイパーライフルっぽいやつは4個1でつくりましたw MW2に出てくるインタベーションライフルをイメージしてつくってみました。塗装をせず、やすりのみです。
今後ザクを砂漠戦仕様に塗装し直す感じで、雰囲気さえ伝わってればいいかなと。あとリックドムⅡもうp
こっちも塗装せず紙やすりのみで褪せた感じを演出してみました。(ちょっとやりすぎたかな?)
てな感じです。
前回の記事に書いたリトバスのハイエースも制作開始でボディパーツにサフ吹いて塗装をします。出来あったら記事でも書こうかと。
そいでまた、過去話しでも。
今回はr383とか
1969年のグランプリを制覇した日産は、グランプリの連覇とCan-Am参戦を見通し、次期型マシンR383の開発に着手する。R38シリーズの総決算と呼べるマシンを目指し、日本グランプリ用はR382と同じGRX-3型V12気筒6.0リットルエンジンを搭載、Can-Am用はそれにターボを装着する計画で、当時の開発人からは最高出力は1000馬力とも言われていた。 R382と外観上最大の相違は、サイドラジエターになったこと。このためノーズはすっきりスマートになった。空力特性の追求がそれまで以上に重要になっていたからである。
しかし1970年6月8日、日産はこの年のグランプリ不参加を表明する。相手を無くしたトヨタもこれに続き、結局この年のグランプリは中止となる。 グランプリ不参加は決定したものの、Can-Am参戦を目指しR383の開発は続行された。この年の8月には1号車が完成している。しかしCan-Am参戦を決定していたトヨタが、8月に起こした死亡事故で参戦を断念し、日産もこれに次ぐことになる。9月21日、正式にR383の開発は中止される。
1度も走行することなくお蔵入りしたR383が、報道陣に公開されたのはそれから6年も経った1976年のことである。そしてレストアされ、サーキット走行が一般に公開されるのはそれから更に30年後の2006年のニスモフェスティバルにてである。
いじょwikiより抜粋。富士改装の一年後にニスモフェスティバルが開かれ、そこで30年の時を経て走行した車です。2008年にはケンメリのレースカーもレストアされて走行しましたね。
r383やr382はマクラーレンM8Dの形にすごいそっくりさんだなぁ~とw
1960年後半から1970年前半のレーシングプロトはここで消滅し、1982年のGr,Cのポルシェ956の登場まで待たなくてはなりません。と、いじょ過去話ですた。
また機会があったらこの手の記事を書こうと思います。それではまた。






