夜、近所をウォーキングしています。


ウォーキングの途中で

ママ友の家の前を通ります。


ママ友は息子たちが小学生のときに亡くなりました。


その家の玄関には

ママ友の写真と遺骨が置いてあります。


男だけの家族のせいか

夏は

玄関開けっ放しのこと多く泣き笑い


家の中が見えてしまうのですが


8年経った今もなお


彼女の遺骨は玄関にあります。


一緒にお祭りに行ったことや

子供会の会合での会話

うちに遊びに来てくれたこと


色々思い出されて

ウォーキングしながら


もう会えない

会いたくても会えない

こんなに辛く悲しいことはないと

じわじわ泣けてきてしまう。


これがもし

我が子だったら?


もし息子が不登校で

命を落としていたら?


会えなくなったら?


私も玄関に遺骨を置くのだろう


そう思うと


不登校だろうと

ひきこもりだろうと


生きているだけで


まずはいいのだと思うのですよね。


息子が不登校になって

部屋に閉じこもっていたとき

息子が命を絶ったらどうしよう

と毎日心配で様子を伺っていました。

ドア越しに聞こえるかすかな音や

部屋の電気がついたとき

よかった生きている

と胸をなでおろす毎日でした。


子どもの命の危険を感じたことのある人は、生きているだけでいいのだと一度は思うと思います。


この気持ちは経験しないとわからないでしょう。


学校に行かない

働かない

何もせずに家にいることは

社会的にはよくないことで

自立しなきゃだめじゃないか

親が甘やかしているのだと

言われても


生きているだけでいいんです



私は言っていました。




本人が動き出すまで

もちろん親として働きかけるし

一生懸命対応しますが

できないものはできないです。


学校に行く

働く

あたり前のことが

できない子だっていることを


私は息子が不登校ひきこもりになって知りました。


動けないうちは

生きているだけで

いいのだと

私は今でも思っています。


いつか動く日がきます。

それまでは

生きていればオッケー👌

です。