夫に就業制限がかかって、目が覚めたことがある。
ほんとうに、簡単なことすぎるんだけど
夫が、我が家の生活を支えているんだということ。
夫が倒れたら 仕事ができなくなったら
うちの生計はなりたたないんだということ。
私がのんきに
自分サイズでとか
自分探しとか
わたしらしくとか
お役に立てればボランティアでいいとか
好きを仕事にとか
強みを活かすとか
そんなん言ってる間も
夫は毎日毎日会社に行って働いてた。
私は
「働く」ことを人一倍真剣に考えてる顔して
なんにもわかってませんでした。
私は気付いた。
稼がず平気な顔してる私は
夫のこぐ一輪車に、絶妙なバランスで乗っかっていただけだと。
その不安定さの上に、子供を乗せているんだと。
そんな曲芸みたいなことをやっていたんですよ。
その不安定さにも気づかずに。
夫がこげなくなっても
一輪車が壊れてもダメなんだし(うちは 一輪車=会社ね。)
夫には休憩が必要だし
絶対に壊れない一輪車もない。
だったらどうするの?
自分もこぐんだよ。
一輪車より自転車がいいじゃん。
自転車に補助輪がついてたらもっといいじゃん。
そのほうが安心だって、私たち子供の頃から知ってるはず。
それでもだんなさんの一輪車に乗るのを選ぶってことは
その不安定さも引き受けるってことだからね。
もちろん子供も含めてね。
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