「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジも…今夏甲子園の“非坊主”校、慶應高監督が明かす“高校野球の嫌いなところ”「皆、甲子園中毒になっている」
↑この記事がとても興味深いと思いました。
甲子園を見始めてから私も、坊主じゃない髪型の選手がいるチームがいくつかあるなぁと思っていました。
決して否定的な意味ではなく、むしろ良い意味で受け止めていたんですが
私も、慶應高の監督さんの意見には賛成派です。
時代の流れ…なんて言うけれど、誰かが誰かのやり方を支配するような、型にはめるやり方そのものが、私はそもそもおかしいって思っています。
勿論のこと競技によって、様々決まりはあるでしょう。
公平に戦うために必要なものは勿論あるとして…
それは大前提として。
私は野球の事は詳しくはないので、高校球児が坊主にしなきゃならないのかどうかも知らなかったけれど、監督さんが上記記事のようなお話をされているという事は、決まりというわけでもないのかなと受け取れます。
想像でしかないので、本当かどうかわかりませんが…
球児が坊主にするのって、関係のない考えを混じらせず野球に集中する為の意思表示とか誓い、のようなものなのかなと私は思っています。
あくまで勝手な想像で、もしかすると違う理由があるのかもしれませんが。
もしそうだとしたら素晴らしい事だと私は思います。
何かの為に、それまでに当たり前にあったものを取り除くという事は、それだけの強い意志や覚悟があるという事だと思うので。
きっと高校野球の世界では、それをする事が昔の時代から当たり前という流れになっているのでしょう。
ただ、野球にかける思いというのは、坊主にしたから本物で、坊主にしてなかったら偽物だなんて事は絶対にないと思います。
ヤジを飛ばしてる人達が多数いらっしゃるようですが……
何を持って「髪を切ってこい」と強要するのか…
全ての人が納得出来るように説明してほしいなぁって私は思います。
私個人としては、
「どっちもあり」。
野球にかける強い誓いの一つで坊主にする事、
元々の自分らしさを大切に、坊主にはせず、それでも真剣な思いを持って戦う事、
そのどちらも。
これまでの伝統にとらわれてるのか何なのか…
髪型の事でヤジを飛ばす、ってどうしても人としての器が小さいように感じてしまう……
高校野球の、球児の何を見ているの?と思ってしまいます。
坊主にしてなかったら野球やる資格がないのでしょうか…
そんな事よりももっと大切な事がある。
長年当たり前だった事が突然変わってしまっているような場面を見たら確かに、お?となるかもしれないけれど、そこで批判に繋げる必要はないのではないかと…
私は高校時代は吹奏楽部で、運動部と文化部というそもそもの違いはあるけれど、人によってはしっかりと短髪にしている女子部員なんかもいました。
他の女子達がしているようなメイクやおしゃれにも見向きもせず、髪も染めず、ひたすら楽器と向き合う日々。
文化部ですけど、そういう子も何人かいました。
でも別にそういう子ばかりではなかったし、普通にギャルと言われるような見た目の子なんかもいたけれど、部活では真面目に音楽に取り組んでいて。
どちらも吹奏楽にかける情熱に差はありませんでしたし、同じ目標に向かって力を合わせて練習に取り組んでいました。
そういう事かな、と。
ヤジを飛ばしていたという人達からは、野球と一緒にするなと言われるのかもしれませんが
言われる前に、是非とも慶應の監督さんの記事を読んで頂きたいなぁと思います。
勿論学校それぞれのやり方があると思うから、あれがダメだこれが良くないと、全てをひとまとめにしては言えないのですが。
何にしても、それぞれの「らしさ」を否定するやり方は、野球でも吹奏楽でも何でもですが、何かに真っ直ぐに向き合う意思に対して、全く不必要なものかなと…
それが、私の意見でした。
あくまでも全て個人の意見です。
もしも、気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ありません🙇♀️