子供たちの幼稚園では RSウィルスと溶連菌が流行しています
それと毛ジラミ(ノ゚ο゚)ノ
インフルエンザはまだ一人も出ていないのですが
時間の問題かなと…。
冬は怖い。
一日中発作が来ないか 何かの病気に感染していないか
ドキドキしながら過ごしているので、精神的に疲れます。゚(T^T)゚。
タイトルに戻り
以前ドラベを発症するまでの事を途中まで書きましたが
その後の経過を書いた事が無かったので
簡単に書いてみようと思います
臨床的に見て ドラベの診断がついてからは
毎日 いつ起こるか分からない発作に怯えながらの生活が始まりました
発作は 毎月2回位で 無熱の複雑部分発作
時間的には 2~3分位の短い発作でしたが
発作している姿を見るのがとても辛かった...
今でも辛いですけどね
まだ小さいコタロウは 良く熱を出し
熱があるときは 重責か群発で
毎回 入院していました
予防接種をしていない状態で
インフルエンザに感染したこともあり 今考えると
怖くて怖くてゾッとしますが
まだそんなに知識の無かった私達は
危機感をそんなに持たずにいたような気がします
その時は幸い 入院してからの発作もなく
解熱とともに症状も改善し退院しました
1歳3か月の時
朝食後 突然の嘔吐から始まったロタウィルス
すぐに緊急時にお世話になっている総合病院へ行き
てんかん薬が効いていないのでは?と伝えるも
特に処置はなく 水分補給の点滴がはじまりました
グッタリして眠ったかな?と思ったら
突然目をあけ 強直発作
ナースコールして看護婦さんが来た時 発作は止まるも
ダイアップの準備をしている時に再び強直発作
2分くらいで発作は止まりましたが
「朝の薬もちゃんと飲めてないし、先生を呼んで下さい」
とお願いして先生を呼んでもらい
先生が到着した時に3回目の強直発作
先生が発作中に太腿から注射をし 発作は止まりました
入院になるので入院病棟に移動して
ベットで眠るコタロウ
これで落ち着いたかな...っと思ったら再び強直発作
ナースコールで看護婦さんと先生が一緒に部屋に来て
処置のため部屋の外に出されました
こんなに群発して
病院に居る時に発作が止まらないのは初めてで
苦しそうな我が子の手を握る事くらいしか出来ず
何もしてあげられない無力さと
どうして元気に生んであげられなかったのか という思いで
一杯になり 元気なコタロウに会いたくて
処置の時間が長く長く感じられて
祈ることと 泣くことしかできず
生きた心地がしませんでした
部屋に入った時には 挿管されていて
もちろん全く意識はなく
先生からの説明を受けました
結局 人工呼吸器をつけたまま
強い薬で4日間眠らされました
毎日 眠ったままのコタロウに会いに行く度
辛い気持ちに胸が押しつぶされそうになる状態でしたが
それでも会いたくて そばに居たくて
面会の時間になるのが待ち遠しかったです
処置後先生から 脳症の話などもされたと思いますが
あまり覚えて居ません。。。
その時は理解したつもりでも
何だか良く分かって無かったような気がします
5日目に人工呼吸器を外して
「ママ」と呼んでくれるか不安で仕方ありませんでしたが
目を開けたコタロウは一番初めに
「ママ」
と しっかり私を見て言ってくれました
嬉しくて泣きながら抱きしめたのを覚えています
様々な検査の結果 脳へのダメージも見当たらず
12日間位入院して退院出来ました
今になって思い返してみると
挿管するタイミングはかなり早かった気がします
最初の発作から 時間にして2時間位
回数にして5回 (1回5分以内の発作)の群発で
挿管したので。
でも1歳3か月だったコタロウにとって
ロタウィルスはとても怖い病気だし
先生のその早い判断のおかげで
最悪な事態にならなかったのではないかと
あの頃よりは 少しだけ様々な知識や経験をした今は
主人と感謝しています
その後 2歳になるまで発作は増えて
コタロウの一番最悪な時期は
5日に1回必ず発作があるような状況でした
そして私たちは静岡のてんかんセンターに行く事を決意したのです
長くなったのでまた明日書きます