商標「TeaCoffee」を巡る争い(原告:「エーゲル」(京都市) 被告:「アサヒ飲料」(東京))について、「ティーコーヒー類似認めず 大阪地裁、商標権訴訟」のタイトルの記事が、
2019.3.14付けの産経新聞電子版
https://www.sankei.com/economy/news/190314/ecn1903140032-n1.html
と
2019/3/15付けの日本経済新聞電子版
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42492310V10C19A3AC1000/
にそれぞれ掲載されている。
同記事によると、
アサヒ飲料が販売するカフェラテとほうじ茶を合わせた商品「ワンダ TEA COFFEE」に対し、商標登録第5963932号の商標権を侵害とする「エーゲル」の訴えを退けた理由について、
「商標の文字部分である「TeaCoffee」は、商品の品質か原材料を示すに過ぎないとした上で「文字のみでエーゲルの商品を示すとまでの認識は得られていない」と指摘。2社の商標に共通するのは文字部分のみで、類似性は認められないと判断した。」とのこと。
商標登録第5963932号
商品「ワンダ TEA COFFEE」
両者の商標で共通する文字部分「TeaCoffee」について、商標法第3条1項3号の規定を適用し、記述的商標であると指摘した上で、さらに商標法第3条2項の規定を適用し、自他商品識別力を獲得するに至ってないとし、模様部分について類否判断したところ、両者は相違しており類似性は認められないとした。
商標法3条1項3号の規定に該当するようないわゆる記述的商標については、昔から文字自体をデフォルメするか、あるいは模様を付す足すことなどにより登録されるが、権利行使は難しい(商標法第26条 当該指定商品などの品質、原材料などを普通に用いられる方法で表示する商標)と言われていたが、まさにその通りの結果であった。
では、権利行使が難しい記述的商標について何故権利取得するのかというと、商標の使用を確保するためである?
万が一他人に先に権利を取られた場合に使用できなくなるので、これを避けるためである?
ところでところで、記事を読みつつ地裁の判断は常識的なものではと思うものの、果たして商標の文字部分「TeaCoffee」が商品の品質か原材料を示すに過ぎないと、いえるのだろうかという疑問がわいた。
「Tea Coffee」と「Tea」と「Coffee」との間にスペースがあるならば、商品の品質か原材料を示すに過ぎないといえるけれど、「TeaCoffee」と、「Tea」と「Coffee」との間にスペースがなく一連に表記した場合、これまでにそのようなコトバが存在していなかったとするならば、単に商品の品質か原材料を示すコトバではなく、指定商品の「茶入りコーヒー」を連想させる、造語としてみることが出来ないだろうか?
そうならば、「TeaCoffee」について、自他商品識別力を獲得できる可能性はどうなんだろう???
尤もらしい知財の話しはこれまでとしよう。
今日は、森鴎外の小説「雁」である。
中国の四大奇書の一つである淫書「金瓶梅」が登場する。
例えば、
「そのころ神田明神前の坂を降りた曲がり角に、鉤なりに縁台を出して、古本をさらしている店があった。そこであるとき僕が唐本の金瓶梅を見つけて亭主に値を問うと、七円だといった。五円にまけてくれというと、「先刻岡田さんが六円なら買うとおっしゃいましたが、おことわり申したのです」という。偶然僕は工面がよかったので言い値で買った。二、三日たってから、岡田にあうと、向こうからこういいだした。
「君はひどい人だね。僕がせっかく見つけておいた金瓶梅を買ってしまったじゃないか。」」
「いったい支那小説はどれでもそうだが、中にも金瓶梅は平穏な叙事が十枚か二十枚かあると思うと、約束したようにけしからんことが書いてある。」
明治時代の書生にも「金瓶梅」が読まれていたことに驚いた。
スケベな徘徊老人ならまだしも、当時のエリート大学生が読むものなのか?
ちなみに「岡田」は帝大医学部の学生である。
そして、「約束したようにけしからんことが書いてある」と指摘した個所の一つに潘金蓮が西門慶に尺八(楽器ではありません)をする場面が何度か登場する。
まあ確かにけしからんことではあるが、凄いぞ???
自分が「金瓶梅」を何度も読み返すのはこの「けしからんことが書いてある」個所を楽しみにしているからである。