昨日のブログで営業秘密による保護を過信せずに出来る限り特許権取得による保護を考えるべきであると書いた。


 でも特許権取得を目指して特許出願をしてもその半数近くが拒絶される現状を考えると果たしてどうなんだろうとの疑問がある。


 出願公開後に拒絶された場合など、特許権取得による保護は勿論のこと、営業秘密による保護も出来ない、悲惨な結果に終わる。


 出願しても拒絶されるくらいなら営業秘密にしておけばよかったと、嘆いても後の祭りである。


 当ブログでは特許出願を勧めているけれど、実は本当にそれでよいのかとの疑問を持ち続けている。


 そうはいっても特許出願しても営業秘密の内容によるが、秘密の内容漏れるとは限らないのではないのか?

 以前弁理士会の研修で某巨体自動車部品メーカーの担当者が特許出願で図面を公開してもこの図面に基づいて同じ品質・性能の物が製造できるわけではないと、云っていた。

 また、1970年代、某企業に勤務していたとき、同僚が特許公報について嘆いていたことがあった。
 それは、米国特許公報の記載内容に基づいて合成を操作して目的とする化合物を得ようとしても難しく、得られた量も僅かで、採算が合わないといっていた。今考えると、ノウハウ部分までは読み取れなかったかもしれない。


 また、出願公開後に拒絶されたとしても、公開された内容については他人が特許権を取得することができないので(公開後に特許出願された場合)、安心して実施できる。

 営業秘密にしておくと、同じ技術の発明について他人が特許権を取得した場合、実施を継続するには先使用権を主張しなければならず、面倒である。


 特許権取得による保護について種々の疑問があるけれど、結局の所、それでいいのかもしれない。




 なお、本ブログでは知財関連以外のことについては触れないようにしているが、現在読んでいる本で紹介したいものがある。

 

 それは、小説太平洋戦争 全9巻 (山岡荘八歴史文庫)  山岡 荘八 (著) である。



 
 東京裁判での判決の内容はすべて正しいとしたことを前提として書かれた本、すなわち日本が東アジアおよび南方諸地域を略取し、支配しようとした、侵略戦争で、戦前、戦中の日本のなした各種行為、行動はすべて悪であるとした、東京裁判史観で書かれた本とは趣を異にしている。