1/4のブログに、
「体験した者しか分からない」
として、

「小牧・長久手の戦い」での
秀吉VS.家康のことをチラッと書きました。

「いずれ書きますね」と予告してたので、
書きます。(^^)/


そこに記したように、
この合戦は唯一二人が
直接対決したもの。

お互い、戦(いくさ)経験豊富、
それなりに人生の艱難辛苦を
なめてきた者同士、
一筋縄ではいかない×2。(^-^;



(駆け引き駆け引き(・・;))


今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
あなたに感謝ですっ!





「小牧・長久手の戦い」とは
このリンク↑にあるように、
約8カ月も続いた長い戦(いくさ)。(^^;

なのに、目立った激突は数えるほど。


「にらみ合いの連続」と言われる原因は、
戦の手練れの両名(秀吉、家康)が、

お互いに「こう来ればああ出る」と
手の内が分かっていたから。





秀吉も家康も戦での功名を重ね
出世してきた人物。

数多の戦場を経験することで、
現場の勘や、考え方・判断力を
養ってきた。





だから、考えもなしで下手に動く
(軍を動かす)ことが
命取りになると知り尽くしていた。

傍目からは
“膠着状態”に見えても、

二人の中では壮絶な心理戦が展開
していたんですね。

 




例えば、池田恒興森長可
家康に敗れた「長久手の戦い」の後、

秀吉が3万人の援軍を出して

家康を追いかける場面。


(長久手古戦場 Wikipediaより)


龍泉寺というお寺に入った秀吉を
「守り手薄」と見て、家康の叔父が
夜襲をかけることを提案します。


(龍泉寺仁王門北面 Wikipediaより)


その意見を聞いた家康、一旦、

「秀吉のこと、手薄に見せかけているだけで
 そのあたりの手配りはぬかりありません」

と叔父の意見を退けます。


しかし叔父さんが
「どうしても」と主張するので、

「そこまで言うなら」と
夜襲の許可を出すのですが、

やはり寺はもぬけの殻汗



秀吉は引き上げた後で、
逆に伏せ勢(伏兵)が置かれており、
叔父さんの方が痛い目にゲッソリ


(噛みつき攻撃はなかったと思いますが。^^;)


伏せ勢側もさるもの。

「深追いはするな」と
秀吉に言い含められていました。
   ↑
(「こんなところで命を
 落とすものではない」秀吉談)



痛い目にあった叔父さんも
ただではすまさない。


伏せ勢に五方を囲まれながらも、
「一方を切り開け!」と鋭い一喝。

全員が一点に集中することで、
城への退路を切り開けました。




結果、お互い
「やはり」
「やりよるわい」
と、これも小競り合いに終わりました。




また、秀吉の行軍を阻もうと、
本田忠勝が500人の小勢で
横合いから奇襲をかけた時、

秀吉は攻撃のやり方から、
伏せ勢ではないと見抜き、

「単発の攻撃。

 すぐ終わる、焦るな」と。



やはり、現場に
立ち続ける(た)からこそ
利く鼻(嗅覚)というか
“現場勘”のようなものは、

確実にある。



そして、

データや数値だけでは
計り切れない大切な判断を
後押ししてくれる。




今、企業で中高年のリストラが・・・
と伝えられていますが、

“蓄えられた経験”を
単純に切り捨てていいのかはてなマーク
とも思います。

 



講談を聞くことで、
こんなことにも気づけるのだとしたら、

ジューブン、ビジネスにも役立つ
エンターテインメントだと思いませんか!?

しかも楽しくてオトクビックリマーク
こんなの、なかなかありまへんで~。(^_^)v



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