今日のタイトルの「追談」というワードは
私が勝手に作ったものです。(^_^;)

辞書には載ってません。

でもまさに「追って」「談義」したくなる
ある方の意見を読んだのです。



今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
あなたに感謝ですっ!






毎週水曜日に届く
豊中商工会議所のメールマガジン。

一人の(よく知ってる)方が
担当されていて、

先々週(9/14)配信分の編集後記に
こんな言葉が載っていました。

「人生は100年の夏休み」

担当者さんがプライベートで参加された
オンラインの会で出た
キャッチコピーだそうです。


これを聞いてハッとされたそうです。
理由はこちら。【メルマガより引用】
   下矢印
このコピーをどう捉えるかは
人それぞれですが、

夏休みって、
何もかもから解放される1カ月のはずなのに、

山のような宿題と、
好きでもないクラブ活動に明け暮れる毎日で

自分がやりたいことって
ほとんどしていなかったなぁって、

中学生の頃の閉塞感を、
私はふと思い出したんです。

要は、人生があの感じだと
めちゃくちゃ嫌だと(笑)

(ほとんどの方は
 そうじゃないはずですが)

 


そしてそこからこんなことを考察された。
   下矢印
「何が言いたいかというと、

 私たちもセミナーやイベントの
 タイトルやキャッチを考えることが
 日常的にあるのですが、

 どんな言葉を使おうと、
 こちらが思った通りに受け取って
 もらえるわけではない。

 受け手に委ねるしかない」




「どれだけ素晴らしいコピーでも、
 文章でも、歌でも、
 それをどう受け止めるか、
 解釈するかは受け手次第。

 コントロールすることなんて
 できないわけですね。

 ただ、委ねるからこそ、
 できる限り受け手のことに
 思いを馳せてみるという工程が
 必要なんだろうなと

 出来もしないのに思ってしまった、
 残暑厳しい初秋の昼下がりです」


(Yさん、メルマガお借りしました。m(^ ^)m)




そう、、、
まさに「花は観手に咲く」。



それを生み出すのに、
どれだけ苦労しようが、

どれほどシミュレーションしようが、

それが“響く”かどうかは、
発信者の範疇ではない。




言葉も、絵も、写真も、音楽も、
あらゆる表現は
発信者の手を離れた途端、
受け手のものになる。





この絶対的といってもいい“事実”を

前にすると一瞬挫けそうになります。(^▽^;)

 

ですが、というかだからこそ、

発する側は一層、

相手のことを考え、
頭に汗をかき、
手と心を動かして届ける、

ということをしなければならない、
わけです。(*゚ー゚)( 。_。)





もちろん、(キャッチ)コピーは
芸術作品ではないですから、

「どんなふうに受け取られたか」の検証と、
次への利活用は必須です。



どんどん観手に
大輪の花を咲かせてもらえるよう、
私も皆さんも、精進ですね。筋肉
 

 

そんな日々に“栄養”を与えてくれ、

「もっと違う表現もできるんでないかい?」
と示唆してくれるのは、

私の場合は講談であり、
バレエなんです~。バレエ




やっぱり公私は切り分けられません。(^_^)v




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