昨日、「芸能や文化を大切にしてきた
上方(かみがた)」と書きましたが、
そんな上方文化の最たる場で聞いたのが
今日のタイトル(の言葉)です。
先週の金曜日に行ってきた
講談会「第二回南陵祭」での
旭堂小南陵さんの問わず語りです。
(同会Facebookページより拝借しました。)
講談に詳しい方はご存知と思いますが、
今年の夏は、四代目旭堂南陵氏が
亡くなって2年(三回忌)。
それを偲んで開催された講談会でした。
今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
あなたに感謝ですっ!
私が行った初日には、
故・南陵氏の子息・旭堂南也さん、
弟子の四代目玉田玉秀斎さんと
五代目旭堂小南陵さんが出演。
それぞれ師匠との思い出を語り、
一席ずつ講談を披露されました。
トリで登場された小南陵さんは
思い出語りの中で、
「亡くなった方の思い出は
どんどん美化というか浄化されていくんですね。
教えて頂いてた時分は、
『このくそおやじ~!(;一_一)』
と思うことも一度や二度ではなかったですが、
今思うと、
『ああ、そういうことやったんか』と。
理不尽にも理由があったんかと」。
生前の南陵氏は毀誉褒貶(きよほうへん)
相半ばする方でしたから、
故人の高座姿しか知らない一ファンでも、
「むべなるかな・・・(^^;)」と聞いてました。
上方の講談会を背負って立つ弟子の方々も
「理不尽に怒られた(怒られてばかり)」
というお声が多いんだとか。
そうではあっても、
筆頭弟子の小南陵さんの言葉は、
弟子方皆さんの心を代弁してらっしゃる
ように感じました。
亡くなった方だけでなく、
もう会わなくなった方、
或いは過去に上司や先生として
指導してもらった方との思い出は、
時を経るごとに浄化されていく。
いろいろな確執があって、
「このおっさんはぁぁ!(`´)」
と思ったとしても、
思い返してみれば、
「ああ、あの時はそういう意図で
これこれと言わはってんな」
って頷くって経験、
あなたも多くないですか
私も長年やってきた仕事とは別分野の、
バックオフィス的な部署に異動した時、
結構ふてくされてたことがありました。
きっと見透かされてたんでしょうねぇ。
その時の上司が
「堀さん、僕たちの仕事に
できない・やらないはないんだよ」と。
誰かを支えたり、
何かの土台作りであったり、
経営層に判断材料を提供したりする仕事は、
どんなに地味だろうが、
どんなに面倒くさかろうが、
必ず誰かがやらねばならない。
「できない・やらない」はないんだ、と。
でもその時の私は、小南陵さん同様、
「このくそおやじ~!(;一_一)」と
ぶつくさ文句を言ってました。
しかし今にしてみれば、
必要だったと分かるし、
それをすることで
全然違う分野の知識も学ぶことができた。
(独学で必死でしたが。。。^^;)
小南陵さんがもう一つおっしゃっていた
「師匠が『違う』と言って指導(指摘)
してくださることは、『違う』のだから、
そこで自分の我を通そうとせず、
一旦受け入れてみる。
『そうなのか違うのか』と考えることの
大切さを教わった」
と相まって、
「“表”の理不尽、
“裏”の必然の法則」
みたいなものを感じました。
今、指導的立場にある方
(上司や先生)に申し上げたいです。
言われるほう(=部下や生徒)には、
あなたの言動が理不尽に映ることもある
(ってかほとんどがそうかも・・・(^^;)。
後になって・・・ではなく、
今分かってほしいなら、
心と言葉を尽くして
説明してあげてください。
「理不尽ではない」ちゃんとした理由、
丁寧に伝えてあげてくださいね。
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