コロナ前のことになりますが、
ある地方の印刷会社さんが、
「『何はなくとも集まって話そうや』例会」
というのを定期的に開催されてました。
第6波が収まってきた感があり、
リモートonlyから、リアル出社との
ハイブリッド勤務になりつつある今こそ、
「何はなくとも集まって話そうや」
の大切さに気付かなかきゃ!って思います。
今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
あなたに感謝ですっ!
「『何はなくとも集まって話そうや』例会」の
当事者さんはこんなふうに話されてました。
「雑談のようで雑談じゃない。
他の人の話の中にめっちゃ気づきがある。
ヒントをもらって、新しいコラボが始まる。
そんな胎動を感じるんです」
その感覚って、
車で移動中にふと始まる
「そういえばね・・・」って会話と
「やってみたい」が生まれるのは、
たいてい会議とかの固い場じゃなく、
たまたまの立ち話とか、
よもやま話の中で・・・って方が
多いんじゃないかなぁ~。
博報堂ケトル共同CEOの嶋浩一郎さんも、
かつて新聞の対談で
次のようなことを言っておられました。
引用ここから
-ビッグデータではヒットの芽は発見できませんか?
「データになっていること自体、
既知の情報ですよね。
POSデータだったら、
そういう消費をした記録であって、
検索ワードもそうです。
あとから言われて気づく欲望は
検索されていませんから。
既存のマーケティング調査では
なかなか難しい。
博報堂の新入社員が
タウンウォッチングするのはいいことです」
(POSデータは“既に起こった”こと。
決して、“これから起こること”は
示してくれません。)
-発見にはアナログな読書とか
無駄な努力が大事な気がします。
「そうですね。
分からないことや
無駄なことからしか、
新しい発見はないと思います」
引用ここまで
ホンマそうやと思いません
「あ!そうそう・・・」とか、
「〇〇さんの話を聞いて思いついた」とか、
“思考の余白”からこそ、
ニンマリするような何かが出てくる
そういえば、
私が最後についた上司も相当変わり者で、
事ある毎に、
自分で珈琲豆を挽いて「珈琲はいったで~」と
フロア中に響く声を上げてたり、
「生で食べられる珍しいトウモロコシ
取り寄せてみたでー。
食べてみたいもん、集まれ~」って
人を集めてワイワイしてました。(^^;)
そんなワイガヤの中から、
訳の分からない、
けれどオモロイ“芽”が生まれてた。(笑)
ムダなことこそ、ムダじゃない。
“余白”、“寄り道”、“回り道”、etc.
効率の面からは、
はねのけられてきたことを見直すことが、
再び顔を合わせられるようになった時、
最初にやることかもしれません。
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