ゴールデンウィーク中に、
10年来の大切な友と久々に会いました。

決して遠方に住んでるわけではないのですが、
会うのは数年に一度。

それもけっこう不思議なタイミングで。



今回も会った経緯は「奇遇~!?」だったのですが、
今日のブログに書くのはその訳じゃなくて、
その時、友が発した言葉、

「それも必要なことだったのかもね」

です。(^_^)/

 






今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!







友人は、公私ともにかなり苦労してきた人です。

特にプライベートな部分に関しては、
感受性の鋭い子供時代から、
大人でも「キッツイなぁ・・・」という状況に置かれてきました。

 


   

 

 


なので、長じて、人よりも達観した視点を持つようになられた。
 

 



そんな友人が、タイトルの言葉を発したんです。
「それも必要なことだったのかもね」と。
 



「それ」が何を指すかというと、
辛い経験や失敗譚。


  




普通、
・挫折なしで
・ずっと成功することが、
良いと考えられますよね。

失敗なんかしない方がいい、と。





けれど件の友人は、

 

傍から見ると「アホやな~」という経験とか、

「そんなことせんでも良かったのに」とかっていうことも、

その時のその人には必要なこと
~踏むべき階段~だったのではないか?


と言うんですね。

それがあったからこそ、今のあなたがいるんじゃないか、って。
 

 

   




聞いてて、確かにそうだよな~(・.・*)(._.)と思いました。

 

 


失敗も挫折も、その時はメッチャ辛い。
「なんでこんなことしてしもたんやろ? (>_<)」と
自分を責めます。

数日、確実に落ち込みます。(^_^;)





しかし、
あなたご自身を思い返して頂いても、

「あれがあったから!(今がある)」
という失敗ってありませんか?





私は数えきれないくらいあります。あせる

 


例えば、初めて一人で撮影の現場立ち会い
(ディレクション)を任された時、

「失敗できへんっ!(> <;)」という緊張から、
フツーならありえへんミスをしでかし、

いつも言葉少なな上司を、
更に“寡黙の淵”に陥れてしまいました。えーん



「あちゃー・・・やってもた・・・叫び」って感じ。



でもそれから猛省し、

 

☆なぜ失敗したのか、

☆どうすれば防げるのか、を考えて備えて、

 

同じ(ような場面で二度と)ミスをしなくなりました。目



今にしてみれば、
“次の自分”のための糧だったように思います。






もちろん、失敗はしたくない。

でも一方で確実に、
「それを経験したからこそ」

見えてきたこと、できるようになったことって、

ありますよね。
 

 




それに、成功しか経験したことがない人って
イマイチ他人を慮れなかったりしますし、


いざ自分が挫折した時は、弱い。

   
 

 

 

 


「自分、アカンわ~」って時こそ、「次の自分への燃料」ですビックリマーク

 

 


もし今、「やってもた・・・」、「自分、アカンやんガーン」とかって
思ってる方がいらしたら、

その失敗や痛さこそ、
次のあなたへのロイター板です。


※跳び箱の前に置いてある踏切のための板。
 こんなのです。

 

  
 

 



すぐ落ち込みがちな私も心がけようっひらめき電球





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