「寺内貫太郎一家」など、昭和の名ドラマを手掛けた
脚本家の故・向田邦子さんが、
黒柳徹子さんや故・小林亜星さん等多士済々な面々と
自由に語った『お茶をどうぞ』という対談集があります。
その中で向田さんはこんなふうにおっしゃってるんです。
「書く技術って氷山のほんの一角だと思うの。
氷山の下のほう、海面下の部分は考えたり、
感じたりすることなんです」。
あれだけの筆達者・文章巧者にして、
【書く技術はほんの一部】だと。。。
氷山の、海の上に突き出している部分のために
【下のほう】で考えたり感じたりしている方が
遥かに長く大きく、且つ大切だ、とおっしゃているようです。
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
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知人が京都の嵐山に行った折り、
こんな写真を撮ってこられました。
(Iさん、お写真、お借りしました。m(_ _)m)
大好物の「みたらし団子」に目が吸い寄せられた私は^^;、
思わず、
「Iさん、そんなに『みたらし団子』が好きですか?」
って聞いちゃってました。(笑)
するとIさんは、
「屋形船に乗ってたんですが、
ボートが寄ってきて売ってくれるんですよ。
普段からよく食べるわけではないんですが、
これは格別でした。(^_-)-☆」と。
私もすかさず、
「Iさん、いい風情だねぇぇ~、粋だねぇぇ~」と。
これに対するIさんの返答はこんな感じ。
「こういうのんびりした過ごし方、好きなんですよ。(^^♪
京都の嵐山に行くと必ずボートに乗って、
船の上でのんびりお団子食べたりしますよ★
堀さんも行かれる機会があればぜひ!」。
Facebook上で会話してて、ふと思い出したのが、
あの向田邦子さんの
「海面下」
「考えたり、感じたり」。
きっと、
何かが生まれる(生み出される、創り出される)
背景には、
こんなふうに脳に刻まれた
「のんびり」、「好き」って記憶や、
その場の空気感が大きくある(絡んでくる)んだろうな・・・
って直感したんです。
文章に限らず、
デザインやメカニズムや、
はたまたWebのプログラムとか、
優れたものの“外”=目に見えている部分、
の“中”とか“下”には、
膨大な記憶や経験、感情があって、
それらが複雑に絡み合って、
ある臨界点まで達した時、
海面からヒョイッと顔を出す。
それを“外”に見せるカタチに整えるのが、
書く/創る技術のような気がするんです。
技術、テクニックだけをいくら知っていても、
生まれてくる荒削りな何かがなければ、
人を動かす、
人の心や社会を感動させるものは、できない。
【技術の前の】膨大な何か。
そここそが大切。技術万能の今だからこそ。
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