ある日の新聞社会面。
「『バカ』『ブタ』園児に暴言」
「アフリカ選手に差別的な記述、〇〇マラソン通訳女性」
比較的小さな記事ではありましたが、
こんな悲しいニュースが並ぶようにして載っていました。
肩※では、小4の女の子の虐待死事件に
新たなひどい事実が判明した旨も報じられていました。
※その面で二番目に重要なニュースが載るところ。
大抵、左上に置かれます。
いたたまれない事件はいつの世にもあります。
しかし、こんな記事で紙面が埋め尽くされるのって、
アカンのちゃう(>_<)と悲しくなった時、
ふと、児童教育や女性応援の仕事をしている
知人の話を思い出しました。
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
その人は、発達心理学を応用した英語・国語教育や、
子育て・生き方支援を行っている女性。
この前お会いした時にこんなふうにおっしゃってました。
「大切なのは、英語力ではありません。
プログラミングができることでもありません。
それよりも
『想像する/できる力』だと思います」。
「自分が言った一言が相手にどんなふうに“響く”かが
想像できないから、こんな悲しい事件が起こるのだと思います。
何気ない一言が、
相手の中に美しい“響き”をもたらし、
さらに大きく反響するのか、
それとも、相手をどんどん悲しみの色に染めていってしまうのか、
そんなことを頭ではなく心と全身で慮れる人。
“学力”はそんな人を育てません」。
「じゃあ何が育てるのかと言えば、
例えばおとぎ話なんかそうだと思うんですよね。
読むと、現実にありえない世界が出てくるでしょう?(^_^)/
猿とカニが会話してたり、
海に鮫を並ばせてその上をウサギが渡っていったり、etc.
現実世界では決して起こりえないこと、
そこで自分の想像力を広げる、
気持ちをそれぞれの登場人物に“添わせる”ところから、
相手の気持ちを慮れる人になると思うのです。
人の痛み・悲しみ・喜びが分かる人間になると思うんです」
「そういう“想像し共感する力”なくして
知識だけを詰め込んでも、
それはプログラムが書けたり、
英語をオウム返しするだけのロボットと
変わりません」
近々始まる小学校での英語とプログラミングの必修化。
それを狙って児童英語教室も、
プログラミング塾も花盛りです。
どこも、そのカリキュラムの精緻さを競って宣伝しています。
「うちにきたらこんなふうに英語が喋れるようになりますよ」
「プログラミング能力は、
就職活動時の大きな差別化要因になります」等々。
しかし、そういった知識を詰め込まれる側の土台・“根っこ”
=人として一番大切なもの、に言及している所は
あまり見かけません。
もちろん「そんなのは家庭教育や学校の役目だ」
と言われればそれまでなんですが、
他の英語教室が、他のプログラミング塾が
言わない、目をつけない、
いわばきらびやかなスペックの外にあるもの、
「それを大事にしつつ、
英語を使って日本と世界の架け橋になれるような
人になってほしい。そう願う英語教室です」
という所の方が素敵だと思うのは、
私だけでしょうか。
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