昨日、「女性のための週末起業サークル」様主催の
「パラレル・キャリアの始め方
~会社で働く女性が『複数の仕事を持つ』準備」セミナー
を担当させていただきました。
少人数制でじっくり向き合いたいという主催者様の意向で
定員8名だったのですが、
蓋を開けてみれば10名ものお申込みがあり、
(うちお一人は急病で欠席)
女性たちの、「何かしたい」、「新しい自分に出会いたい」
というモヤモヤ感や切実さみたいなものをひしひしと感じました。
そんな皆様に、セミナーの最後に、
故・岡本太郎さんの言葉と鷲田清一さんの解説を
お贈りしたところ、
お一人から、「なぜこれを私たちに?」という
とってもいい質問が飛び出しました。(^_^)/
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
お贈りした岡本太郎さんの言葉は、
この「芸術論の名著」と呼ばれる書籍に収録されているもの。
↓
「本当に叫びたいこと、
一人一人の腹の底の、
血の吹き出すような訴えに、
社会は応えてくれてない。
だからひどくバラバラ。責任がない。
結局は疎外感だけが残る」(岡本太郎)
前衛芸術家のこの檄を受けて、
哲学者で京都市立芸術大学学長の鷲田清一さんは、
次のように述べておられます。
「一見何でもやれそうに見える社会だが、
人はただ
・・・・・・・・・・・・ 中 略 ・・・・・・・・・・・・
何ができるか、できないかではなく、
何をしたいか、どうありたいかに重心を移せ」
現代に生きる私たちは、一見何でもやれそう
何でも言えてそうな環境に生きてます。
戦時中と違い、政府を批判したって捕まることはないし、
Twitter等のすぐつぶやける言論環境も整備されてます。
また、職業選択の自由だって、
きっと過去のどの時代より広がってる。
本当に一見“生きやすそう”な社会です。
しかしつぶさに見てみると、私たちって実は、
誰が決めたのでもない“常識”~べき論~に
縛られて生きてる。
一見何でも言える、なんでもできる時代。
しかし、
本当に自分が言いたいことって、
実は言えてないのではないか?
やりたいことが、やれてないのではないか?
(特に女性は)
家庭を守って初めて確保される自由って、
それ「アリ」なんか?
仕事も子育ても完璧にこなして当たり前って、
誰が決めたんだろう?
もちろんいろんな生き方や価値観がある。
けれど、
「本当はこうしたいねん!こうやりたいねん!」
そんな心の底からの、魂からの叫びを、
女性たちはしてもいいと思う。
〇〇をしなければならないから、
〇〇でなければならないから、
〇〇してからでなければ、・・・・・・
女性たちは、
そんな軛(くびき)からそろそろ自由になってもいいし、
今の世代が踏み出さなければ、
そのイケテナイ状況が次の世代に“再生産”されてしまう。
勇気を出して、言いたいことを言い、
「べき」の軛から飛び出してみてほしい。
それは、あなた一人のためじゃない。
次の世代、次の次の世代の女性たち、
ひいてはLGBTの人たち、男性たちの
生きやすさを社会に訴え、
みんなで考えていくきっかけになるから。
そんな意味を込めて、
岡本太郎さんの檄と鷲田清一さんの解説を
贈らせていただきました。
女性が自由にライフプランを
描いていける社会は、
間違いなくいい社会になっていく。
だから、
「何ができるか、できないかではなく、
何をしたいか、どうありたいか」
を考え、一歩踏み出すなら踏み出してほしい。
そんな思いを込めて、あの言葉たちをお贈りしました。
どなたも深く頷いて頂けたのが嬉しかったし、
きっとこれから、もっと自由に、
自分に正直に進んでいって頂けると思いました。(・.・*)(._.)
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