知人が東京オペラシティアートギャラリーで開催されていた
「谷川俊太郎展」に行ってきた、とFBに投稿していました。
その中に、
「朝が新しいなら、夜は古いのかな?」
という谷川さんの詩を写した一枚がありました。
こういうことを書けるって、なんかすごい~!(^^)!と思っちゃいました。
まるで、“そのまま子ども”
“大人の場”であるはずの国会の“ああいう状況”を見てると、
いっそのこと、
「忖度」をしない子どもに任せたほうが
いいんじゃないだろうか・・・なんて思っちゃいます。σ(^_^;)
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
知人が投稿してくれていた谷川俊太郎さんの詩を見て、
あるお子さんの言葉を思い出しました。
↓
「しんだじいちゃんが、けんこうになりますように」。
7歳の男の子が七夕の短冊に書いた願いです。
新聞の投稿欄に載ってたんです、
嘘じゃないですよ。(^0^;A
この子が4歳の時におじいちゃんが亡くなられた。
その時おばあちゃんは、
まだ「死」が分からないお孫さんに向かって、
「じいちゃんは、お星さまになって
〇〇君やお姉ちゃんたちを見守ってくれるから」
と話されたんだそうです。
するとお孫さんは葬儀の朝、
「今日は、じいちゃんがどうやってお星さまになるのかが
見られるから楽しみだなあ」
と言って周囲を驚かせました。
3年後の七夕の時もそれを覚えてて、
「死んだ人の健康を祈る」という“離れ業”を披露。
ウルトラC級の技を披露した小学1年生は
こう言ったそうです。
「健康な(じいちゃん)星じゃないと、
僕たちを見守れんやろ」。
なんという直球っ
いや~、、、なんかスゴイ。
子どもの発想ってここまで自由。
その囚われなさこそが、
葬儀の折には悲しみにくれる遺族を慰め、
時が経つと今度は、
「おじいちゃん星の健康を祈る」ことを通して、
おばあちゃんを始め家族みんなに
(亡くなった方々の魂の化身[?]である)
「全ての星々(地球含む)の健康」までも祈らせてしまった。
子どもって、
身近なことを喋っているように見えて、
実は、私利私欲ではない
宇宙の真理みたいなところを突いてきます。
今生きてる大人だって、
昔は子どもだった。(当たり前ですが。。。(^_^;))
いろんな苦労や喜び・悲しみという形で着こんじゃった
“時の衣”を、少し脱いでもいいような気がするんです。
身軽になった心に映る自分の言動はどうか?・・・と
少し素直にフラットに考えられますから。(^_^)/
複雑系の時代だからこそ、
あえて“子ども心に諮る”って大事だと思うのです。(・.・*)(._.)
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