一昨日の講談会で経験したことと考え合わせると、
(自分が)やれることを手を抜かずに
チャンチャンとやっていかにゃならんねんなぁ~
(いくら暑くても^^;)・・・
な~んて、考えちゃいました。(;^_^A
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
長女でやぎ座なくせに(?)、結構アカンたれな私。
できへんかったこと、やらなかったことに
理由を付けるのは、うまいです。(^0^;A
特にこういう暑い時期だと、
「今日はここまでやるゾ!」と考えててできなかったら、
ついつい、「だって暑いからしゃーないやん」と
言い訳しちゃうこともしばしば。(+_+)
それ、アカンのちゃう?と叱ってもらえたなぁ・・・と思ったのが、
一昨日の講談会やったんです。
俳優さんも、落語家さんも、浪曲師さんも、
ピアニストも、バイオリニストも、
皆さん、曲なりセリフなりを覚えて
演じたり演奏したりしはりますよね。
講談師さんも同じ。
膨大な原稿を覚えて高座に上がらはります。
その時、たとえ師匠からもらったネタ本であっても、
自分が話しやすいように、
語尾や語調を変えて語らはるんです。
(いわば「自分仕様」です。)
でも一昨日の「由来講談の会」では、
講談作家さんが書かれた原稿そのまま、
=一字一句変えずに
=手元に原稿を置いてそれを読む形で
語るという、すごく煩雑で対応力の求められることに
旭堂小南陵師匠は挑戦しはったんです。
(一席目のみ)
「すごく煩雑で対応力の求められる」とは
どういうことかというと、
言葉の端々や文章の順番なんかを“変えて語る”ことは
許されませんので、
自然と視線は原稿と聞き手を行ったり来たり・・・
ってことになります。
するとそこには、
聴衆の反応を見る→語りを調整する、
というinput→outputに微妙なタイムラグが生まれます。
そうですね~、近いイメージで言うと、
イヤホンで同時通訳を聞いている・・・
みたいな感じでしょうか。
そんな不利な状況であっても、
終盤に向けて雰囲気を盛り上げていかねばなりませんし、
実際、聞き手は「忍者の由来」の面白さに
引き込まれました。(^^)/
二席目※の前に、
「あ~、解き放たれた気分がしますわぁ。
ホンマこっちの方がやりやすいです」
と心底おっしゃったとおり、
いつも通りの“小南陵調”語りは、
水を得た魚のようでした。
※忍者に因んで、「猿飛佐助」が
真田十勇士に加わった頃のお話を語って下さいました。
いかに一席目がやりにくかったか。。。
なぜそんなやりにくいことをしはったか?
この「由来講談の会」がそもそも
「勉強会」の要素を含んでいて、
通常の高座ではなかなかやりにくいことを
敢えてやってみよう!新しいことに挑戦しよう!
という主旨だから。
更に、会の枕で話されたように、※
「どんな状況でも柔軟に、相手に合わせながらも、
しっかりとこちらのフィールドに入ってきてもらえるような
語り手にならなければ!」
という強い意識をご自身でお持ちだったから。
※学校の「古典芸能を聞く授業」に呼ばれた時に、
「ベテランの落語家さんたちの対応力に比べて、
自分はまだまだ不十分だった」と述懐しておられたこと。
「今日できたのはここまで。
自分の実力から目を背けたらアカン。
明日からはまた
1mmでも先へ進めるようにしよう」
そんな小南陵師匠の姿が脳裏に残った翌朝、
さんまさんの名言を“たまたま”見たんですから、
これはもう、
「今私にそれが足りてないんやで」って
メッセージやと思いました。
自分なんてこれくらい。
そやけど、これくらいな自分をちゃんと認めて、
そっからまた前へ行ったらええねん。
諦める、止まるは、アカンねんで。
心に刻みます。(・.・*)(._.)
ご訪問ありがとうございました。m(_ _)m
人気ブログランキングの応援をして頂けると嬉しいです。