毎年のようにいろんなできごとが報じられますけど、
見る度に、“遠いようで近い”ような、
一種不思議な感覚を覚えることがあるんです。
それは幼児とお年寄りが一緒にいる光景。
例えば、
保育園児が老人ホームなんかを訪問している・・・
というふうな。。。
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
ちっちゃな子たちが目の前に来ると、
それまで無表情だったお年寄りが微笑んだり、
認知症で普段はボンヤリしてる方が、
ハッキリと目の焦点を合わせ頭をなでたりされる。
ある病院でおばあさんの入院患者を、
1歳になるかならないかくらいの赤ちゃんを連れた家族が
見舞っておられて、
その時、おばあさんは病人とは思えないほど
顔の色つやもよくイキイキとされていた。
けれど、ご家族が帰られた後の後ろ姿は、
あまりにも寂しげで、切なかった。
それっていうのは、もちろん人間の中に、
小さな者を慈しむ心や、家族と過ごす喜びの心が
備わっているからこそ、なんだけど、
どうもそれだけではない、
“そこを越えた何か”が
両者(お年寄りと子ども)の間にあるんじゃないか?って
ずっと思ってきました。
それは、(後天的な)知識なんかとは違う
本能に近いような“何か”。
そう考えた時、ハッと気付いたことがあるんです。
お年寄りと幼児って、パッと見、全然遠い存在。
生まれて育ってきた時代も全く違う。
でも、
「両者はある一点で“近い所にいる”んじゃないか?」
そう思った。
幼児やお孫さんって、
数年前までこの世に存在してなかった。
いわば“向こうの世界”にいたわけですよ。
(なんて表現していいか分かんないので、
“向こうの世界”と言っときます・・・。^^;)
一方お年寄りは、
こんなこと言いたくないですけど、現実問題として、
早ければ数年、長い人でも十数年というスパンで
“向こうの世界”に帰っていかれる。
後の世代が生まれてきたから、
自分はそこに帰っていく。
“後を託される者”、
“先に生きてきた者”として、
惹かれ合うんじゃないか?
ふとそんなふうに思いました。
いや、、、別にだからどうだってわけでもないんですが、^^;
まだ喋れない赤ちゃんでも、
寝たきりだったり、認知症が進んだ人であっても、
心は“お互いを受け渡し”してるんだなって、思った。
現実的には、物理的に肉体が存在し、
何世代も続いてきたからこそ、
人間という種が存在するんだけど、
先に生きてきた者から、後に生きる者へ、
言葉にならない何かが、気づかないうちに託されて、
今という時代があるのかもしれない。。。
昨日に続き、ふと、そんなことを考えた今日でした。
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