明日の「エンタメ☆プレゼンタースクール」の宿題発表に向けて
練習していた広報ジャーナリストの堀美和子です。


しか~し、、、既に練習の段階で笑いがっ!顔2



明日、笑い転げずに発表できるのだろうか・・・。
大丈夫かっ?私っ?OO;




でもね、よーく考えると、


18年前は、今こうやって好きなことを仕事にして、
その合間に、楽しい学びの機会も組み込んでいる姿なんて

全然想像できませんでした。




あの時、被災地で身を粉にして働く社員や協力業者の方々の姿を
なんとか伝えたいと、


カメラとノートとペンと、自分の食糧と水を持って、
神戸から姫路にかけてヘルメットを被りながら歩いた日々。

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何かに憑かれたように社内報と向き合った経験は、
今の私に至る貴重な道標だったのかもしれません。



いつもお読み頂きありがとうございます。感謝ですっ!











阪神淡路大震災の翌日、
少し動き出した大阪の地下鉄とバスを乗り継ぎ、
辿り着いた社内は、、、


だいぶ片付けられてはいましたが、

あらゆるものがいつもの場所と違う場所にありました。(-"-)




「とにかく支援物資を神戸へ!」と、周辺のコンビニやスーパーに
水・カイロ・ブルーシート・コンロetc.の買い出し隊に早変わりです。^^;




神戸方面への電車が少し動き出したころ、
女子社員達は家でおにぎりを作り、水や持てるだけの物資を持って、
神戸に向かいました。

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途中の駅から神戸までは、線路に沿って延々歩きです。


崩れた家、燃えた後、すさまじい光景の中を半泣きになりながら。

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支店・営業所・展示場にそれらを届けながら、

私は「この光景を、被災地の社員達の頑張りを、お客さんの声を、
社内報で届けなければ」と強く決心し、


物資を届けがてら、忙しい社員をつかまえて話しを聞き、
住宅点検にも同行させてもらいました。






幸いにして、お客様宅には一軒の倒壊もなく、
逆に「この家に守られました」と、社員の手を握って
お礼の言葉をかけて頂いたり、


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関東・東北方面から応援に駆け付けてくれた社員や大工さんが、
地理も分からず道路事情の悪い中でも、

一軒一軒、丁寧に点検調査に回ってくれた姿を、


伝えずにいられなかったのです。






そんなふうに、被災地で起こっていること、
交わされた言葉の数々をルポ形式で綴っていくと、


やはりそれは全国の社員や協力業者の方をつなぐ
立派な媒体になったんですね。


いつもと同じ、いえいつもより更に経費を圧縮して

作られたモノクロの小冊子が、です。






どこの会社でも“日の目を見ない”部類に入ることの多い社内報。


けれど、取るに足らないそのちっぽけな存在が、


遠くから派遣されてくる人のご家族の心配や苦労をも、
少しは和らげる役に立ったんじゃないかとも思えました。







私、今でも、いえ今だからこそ思うんです。



社内で起こっていることをちゃんと伝えること、

明確にすることで、


疑心暗鬼や無用の心配を防ぐことができるのなら、



21世紀の今でも、
「社内報」というのは、とても意味のある媒体だと。






紙でもWebでいい。


とにかく、何かが起こった時に、社員や関係者全員が
共通の拠り所にできるものを日頃から持っておくのが
とても大切だって。




もし、経費削減で「止めてしまおう」としている会社さんが
あるなら、ぜひ止めないでっ!と声を大にして言いたいです。




毎月がキツければ、2か月に1回にしてもいい。


とにかく、どういう形でもいいですから、

皆の気持ちの拠り所となるものを持ち続けて下さい。




そして、もし止めてしまった会社さんがあったら、
1.17という日を契機に、もう一度復活を考えてみて下さい。






かつて、身を持って、


「社内報」が心をつなぎ、


結果、


業績アップにだって貢献することを経験した


私からのお願いです。








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