阪神淡路大震災から18年目の今日、
地震発生時刻の午前5時46分に自宅で黙とうを捧げた
広報ジャーナリストの堀美和子です。
-時事ドットコムWebサイトより拝借)
18年前、私はまだ羽曳野市の実家に住んでいました。
ちょうど、妹が里帰り出産していて、
地震が起きた瞬間、
妹は生まれたばかりの赤ちゃんに覆いかぶさったそうです。
何を考えるでもなく、「我が子を守りたい」という
母親の本能だったのでしょうね。
彼女は当時まだ20才の若さだったんですけど。
震災当時/今/未来に向けて、
私が体験から感じたこと、考えたことを書いてみますね。
いつもお読み頂きありがとうございます。感謝ですっ!
実家は大阪の東南部。
確かに大きな揺れではありましたが、何がどうなるでもなく、
いつもどおり出勤の準備をし、家を出ました。
バスもいつもどおり走り、
近鉄電車も遅れてはいましたが、普通に走っていました。
しかし、地下鉄の駅に着いた途端、
「尋常ではない」ことに気づきました。
全部、止まってたからです。
それでもなんとか会社に行こうと(←こういう所、律儀でしょ。^^;)
バス停に並ぶも長蛇の列。
30分ほど並んで諦めて、社に電話をかけてみると
なんと既に出勤してた人がいたんですね。
大阪市西区にあった会社は、
「中、グチャグチャや。外(外観)はどうもないけど」。
仕方なく、また近鉄電車→近鉄バスに乗って家に帰り、
TVをつけた途端、、、神戸の町が燃えていました。
「うそやっ!これ、映画ちゃうん?」
どのチャンネルも同じ画像。
それでやっと、「これは本当に起こっていることだ」と信じました。
真っ先に、
当時宝塚市に住んでいた上司の顔が思い浮かびました。
「まさかっ!」と思って電話をかけてもつながりません。
バス停にあった公衆電話まで走り、
必死の思いで何度かダイアルすると、やっとつながりました。
あの時の安堵感。。。
一気に全身の力が抜け、思わず空を見上げたら・・・
1月にしては温かい陽光が、
いつもどおりの静かで穏やかな町に降り注いでいました。
その空の下、
いつもどおりバスや車が走り、
いつもどおり人が歩き・・・。
今しがた聞いた、
「こっちはガスの臭いがしてる。水も電気もストップ」という状態、
それに、TVに映った黒煙に覆われた神戸の町とのあまりの違いに、
戸惑ったことを、未だに忘れることができません。
とにかく、上司の安全を会社に伝えようとしたのですが、
もう会社への電話は通じませんでした。
もう一度上司に電話をかけ、
「何かできることはありませんか?」と問うても、
向こうも混乱しています。
「とにかく今はこっち方面に来ちゃダメだ」。
今みたいにボランティアがすぐ組織されるでもなく、
会社とも連絡がつかず、
さりとて個人でどうすることもできず。。。
その日一日、小春日和の中、
ただTVを見て不安な気持ちを抱えているしかありませんでした。
ただ一つ、意識を日常につなぎとめててくれたのは、
生後1か月に満たない甥っ子。
そんな状況でも、泣き、笑い、お乳を飲み、眠り・・・。
周りがどうであろうと、「自分の本分で生きる」姿は見事でした。
一昨日、神戸で参加したイメージトレーニング。
そこで尾崎里美先生は、
「何があっても、地に足をつけ、自分の中心(センター)を
ずらさないこと。それが結果的に、相手をも救うねん」
とおっしゃいました。
既に、赤ちゃんの姿を通して、その真髄を教えられていたんですね。
「初めに学び、後でそれに気づく。
人生全てにムダなことはあらへんで。(^_-)-☆」
---尾崎先生の言葉が、改めて身に染みました。
私たち家族を、ある意味助け続けてくれたその甥っ子は、
18才になりました。
美容師になるため、春から美容専門学校に進みます。
夢に向かって、ガンバレっ!まーくん!
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