先週の月曜日、夜行バスに乗り、仙台へ向かいました。

 

 

母方の叔母が88歳で亡くなり、仏式のお通夜へ参列するため、往復夜行バスで帰ってきました。

 

私はほとんどがキリスト教式での葬儀の経験しかないため、仏式で覚えているのは2~3回目くらいかと思います。いろいろ馴染のないことや珍しい慣習がありました。

 

 

 

香典

 

 

香典とは「死者の霊前にそなえる香に代わる金銭」です。

 

この「香をたく」という行為が「拝む」という行為を含むため、私はやはり「お花料」を持参しました。

 

お花料の封筒はキリスト教書店でも販売されていますが、お近くですぐに見つからない場合はAmazonや楽天などでも購入できます。

 

 

 

 

 

表書きは、薄墨の筆ペンを使用する場合がありますが、必須ではないように思います。

 

薄墨の文字を書く理由は、「突然の訃報を受け、涙が硯に入って墨が薄くなってしまった」「突然の知らせに墨をする時間を惜しんで駆け付けた」という意味があるそうで、宗教的な意味というよりはお悔やみの心情を現わしているようです。

 

筆ペンは100均にも売っていますし、今は慶弔両用の筆ペンも売っています。

 

 

 

 

 

数珠

 

仏式の葬儀では参列者が手に持っている数珠ですが、クリスチャンは数珠を持参しません。そもそも持っていない方も多いと思います。

 

 

 

お焼香

 

クリスチャンはお焼香をしません。死者を拝むという意味が含まれる行為だからです。

 

今回、クリスチャンではない親族のお通夜でしたが、喪主であるいとこが私たちの状況を知っていたので、前もって「お焼香はしなくていいから。お祈りしてくれたらそれでいい。」と言ってくださいました。

 

「お焼香の順番が回ってきたらどうしよう?」と思うクリスチャンの方がいらっしゃると思いますが、自分の番が来たら前へ出て、お焼香をせずに神様に心を向け、故人と遺族のためにお祈りし、遺族へ一礼して席に戻りました。

 

 

 

旅支度

 

仏式では衣装や小物などが死後、三途の川を渡りながら「あの世」へ向かう旅(?)に出たときに困らないように準備をする、という風習があるようです。

 

仏教でも浄土真宗では、すぐに極楽浄土へ向かうと考えられ、旅支度の必要がないようです。

 

旅支度では棺の中で利き手に杖を添えたり、「六文銭」というお金に見立てた紙や紙幣を持たせたりなどするようですが、キリスト教式の葬儀では旅支度はありません。

 

 

 

清め塩

 

頂いた香典返しに小さな塩の袋がついていました。

 

キリスト教では「召天」「帰天」と言われるように、死は「地上での苦しみや重荷から解放されて主のみもとへ行く」という考え方ですが、仏教では死は「不幸」「不浄」なものと考えられ、清める必要があるようです。

 

「清め塩」は死を「穢(けが)れ」とする神道から生じた慣わしだとか。

 

香典返しを受け取った時、私たちがクリスチャンだと気づいた葬儀場の方に、「あ、では塩はいらないですね?取り外しましょうか?」と声を掛けられました。

 

イエス・キリストが山上の説教で「あなたがたは地の塩です。」(マタイの福音書5章13節)と言われた言葉を思い出します。

 

 

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