昨日は金沢では30度くらいの暑さになりました。

 

礼拝が終わり、いつか食べてみたかったカップ入りのパフェを買い、私の両親を連れて大乗寺丘陵公園へ行ってきました。

 

つつじのきれいな公園ですが、見頃は4月までだったようです。

 

 

 

 

 

夫が24歳で初めて教会へ行き、バプテスマ(受洗)式の時の証、前回の続きです。

 

ある時、白分自身について落ち込むことがあったのですが、その時に「自分は本当に無力だ。神様を信頼してすべてを任せよう。」と、少し投げやりな気持ちもあったのですが、そう考えた時、不思議とからだの力が抜けるような、とても楽な気持ちになりました。

 

そして、こんな自分でも神様が愛して下さっているんだと考えると、喜びと元気がモリモリと沸いてきました。

 

この時、今こうして自分が神様にすべてを委ねることができるのも、イエス様が十字架にかかって死んで下さったからなんだ、と確信が持てるようになりました。

 

今日の洗礼を前に、改めて初めてこの教会に来させていただいたときのメッセージと第2コリントの箇所を見直したのですが、次のような御言葉に触れました。

 

「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々がもはや自分のためにではなく、自分のために死んで蘇った方のために生きるためなのです。」第2コリント5 :15 

 

 生きる意味や目的が全く分からなくなって教会へ導かれたその日に、このような御言葉がメッセージされていたなんて、本当にびっくりしています。

 

洗礼に導いて下さった教会の皆さん、そして主に心から感謝します。

 

これからが本当の意味での信仰のスタートとなりますが、主を信頼してイエス様のために、イエス様の愛にお応えして生きて行きたいです。(完)

 

・・・

 

信仰を持ってから1年くらいですぐに献身の思いが与えられ、神学校へ行くことになった夫は、聖書の知識があまりない状態で入学したので、学びにはとっても苦労したと話していました。

 

2000年に結婚し、2001年から牧師となって今年で23年。

 

今まで一つ一つの神様からの守りや導きがあったなあ、と思い返しています。

 

 

 

 

 

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