「どうしたら神の祝福を受けられるのか?」という時、祝福の鍵となるポイントを押さえる必要があります。
私が育った牧師家庭では、牧師である父が子供に教えた「家訓」がありました。
1・聖日礼拝厳守
2・十分の一献金
3・親を敬い、親に従う
4・牧師を敬い、牧師に従う
5・クリスチャン同士の結婚
(ロックフェラー家、ジョナサン・エドワーズ家の家訓にエペソ6:1~3を併せたもの)
コロナになってオンライン化が進み、「聖日礼拝厳守」とは言われなくなり、旧統一教会問題で「十分の一献金」も語りにくくなりました。
「父と母を敬え」は、宗教問わず言われますが、「4・牧師を敬い、牧師に従う」というのも、あまり語られないように思います。
教会がカルト化したり、ワンマンな牧師がいたり、過去に様々な問題が起こったためにあまり語られなくなったように思いますが、祝福を受けるには原則があり、原則に従うことが「祝福の鍵」となります。
私の場合、両親を敬うことと「牧師を敬い、牧師に従う」ことは、つまりどちらも父親だったので、ダブルで敬うことを意味していました。
父は臆することなく語り、私たちは多くの祝福を父によって受け継いだと思っています。
今はアルツハイマー認知症になった両親を近くに呼び寄せ、私の願ったとおりにお世話をするようになりましたが、今日も両親と銀行まで一緒に歩いて行ったり、買い物をしたりして過ごすことができました。
知人の中には、施設で過ごすお母さんと離れる際、泣きながら仕事に戻るという話を聞き、今、近くで両親と過ごせることは何と幸いなんだろうと感謝しています。
尊敬できる牧師ばかりではないと思いますし、尊敬できる両親ばかりとも限りません。
けれども、尊敬に値するかどうかは問われておらず、両親や上に立てられた権威に従うことを聖書は教えています。
私の両親は幸い、尊敬できる両親といえると思いますが、私の父の母親と私の母の父親は早く亡くなり、私の父の父親(私の祖父)は資産家に養子に入った人だったそうですが1代ですべて失い、家が破産して夜逃げしました。
お酒に酔いつぶれた祖父を小学生の頃から引き取りに行ったのが長男である父だったそうです。
その後、私の両親は尊敬できないと思ったけれども、「父と母を敬え」とのみことばに従って祖父を引き取り、一時期同居していました。
私はその姿を見ていたので、尊敬できて大好きな両親の近くにいられることは、何と幸いなことかと思っているのです。
2人ともアルツハイマー認知症ですから、日々、色んなことがあります。
でも、今の祝福は両親の信仰と祝福から来ていると思い、感謝に思っています。
「5・クリスチャン同士の結婚」もまた、今ではほとんど聞かれなくなり、「どちらでも自由」との認識が多いように思います。
クリスチャン同士の結婚は「信仰継承」に影響を与える重要なこととして、私は自分の使命と感じています。
クリスチャンホームの子どもが信仰を受け継ぐ割合は、2割以下~3割程度と言われ、「3人に1人の割合で信仰継承されていたとしたら、クリスチャン人口は今の2~3倍になっていたかもしれない」とのことです。
私の父は5つの家訓を教え、子供3人中3人が献身し、孫8人中8人がすでにバプテスマを受けました。信仰継承率は100%です。
金沢のお正月のお菓子「福梅」
祝福が大きいことは語りにくいことが多い
祝福が大きいことは牧師が語りにくい内容が多いように思います。あまり語られないので、知らない人もおり、祝福を逃すことにつながっているのではないかと思うのです。それで、これらのことを記事にしています。
「自分もチャレンジしてみたい」と思う方が一人でも起こされれば感謝です。
応援のクリックをありがとうございます。励まされています。
過去記事