昨日は録画していた「林先生が驚く初耳学」というテレビ番組を見ていましたが、なかなか面白かったです。
私も小学、中学、高校生の母親として、子供が自立するまでに何をどう教えるべきか?と考えたり、悩んだりすることがあります。
そんな時は、「自分はどう教えられてきたか?」をよく思い出すのですが、うちが牧師の家庭だったこともあり、聖書に基づいた考え方や「原理、原則」をよく教えてもらっていたんだな、と思い出します。
クリスチャンホームで「押さえつけられてきた」と感じて育つと、自立と共に教会から離れたり、信仰から離れたりしてしまいがちです。
それが「信仰継承」のネックにもなっているようです。
子どもが家にいる間の高校生までに、「神を恐れ、信仰を持つこと」と、様々なことに信仰を持って対処できるように「原理、原則」を教えていくことがとても大事だと思わされています。
うちも、あと数年で子供が巣立ち、親元を離れて県外へ行ってしまえば、もう親がいちいち口出しすることはできなくなります。
子どもが自分で考え、選択と決断ができるようにしていくことが「教育」なのだと、最近、特に思わされています。
決断に迷った時はどうするか?
先日からの記事
などは、牧師である父親から教えられていたものですが、これらの教えは私のうちで価値があり、印象に残っていたのでいろいろな場面で思い出し、助けになったことです。
今日はもう一つ「決断に迷った時はどうするか?」という教えについて。
決断に迷うようなときって色々とあり、若いころは特に経験もなく未熟なので、迷ったり悩んだりすることが多く出てきますよね?
年齢を重ねても、初めて出会うケースや「決めかねること」はたくさんあります。
そんな時は、父からの教えを思い出すようにしています。
「迷ったら動くな。(その場にとどまれ)」
出エジプトのイスラエルの民を「昼は雲の柱、夜は火の柱」(出エジプト記13章21~22節)が導き、その柱の導きに従って歩んでいた、という聖書の箇所からきているのだと思いますが、いつ動くかもわからない「雲」は神の臨在の象徴とされ、昼間の熱い太陽から民を守るだけでなく、移動する「時」を知らせるものだったようです。
「雲の柱、火の柱が動くとき」を合図としてイスラエルの民が昼も夜も進んで行ったように、私たちも「平安と確信」があって初めて動くことができ、平安と確信がない時には「その場にとどまるように」というのが父の教えでした。
「海でおぼれた時には、力を抜いて『ぷか~』っと浮いていなさい。そうすれば誰かが助けに来るから。」という教えもありました。
山で遭難した人もその通りで、自分がどこにいるのかわからなくなってしまったような時には、「その場にじっとしているほうが良い」と言われていますよね。
やみくもに動いて体力を消耗するより、じっと救助を待つのが良いらしいですね。
じっとしていることが、時には苦痛に感じることもあるかもしれませんが、基本は「迷ったら動くな」ということを思い出すようにしています。
聖書に書かれていないことや、決断に困った時など、思い出すと助けられる時があります。