キリストに出会う前、どうやって生きていけばいいのか、わからなかった。むなしかった。さびしかった。でも、さびしいと認めたくなかった。学生時代に賛美歌を歌ったことが思い出されて、ふと教会に行ってみようと思った。聖書は読んでみてもいいと思った。
でも、神の存在が信じられなかった。
『人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。』(マタイ10:33)
わけもなく、イエス・キリストに私を知っていると言ってほしかった。ただ知っていてほしかった。この時、心の扉を開くことができた。それからも私の心はキリストから遠く離れたり、近づいたりを繰り返した。でもキリストは一度も私を裏切ることはなかった。
『戸をかたくしめきっていた 部屋に入って来られた
キリストにお会いしてから キリストにお会いしてから
その両手と 脇腹に きずあとがいたいたしい
キリストにお会いしてから 私の心がかわった
信じないものにならずに 信じなさいと言われた
キリストにお会いしてから 私の心がかわった
お会いしてからー』 (水野源三作品集より)
イエス・キリストが再び来られることを知った。神の壮大な計画が今も実現しつつあることを知った。なんという希望なのだろう、キリストと共に歩むことは。
(N姉)