今週、かつてうちの助っ人をやってくれたことのあるF氏と、久しぶりに一杯やりにいった。
彼と知り合ったのは、かれこれ10年ほど前。
その経緯は昔このブログに書いたから省略するが(「スイスからの客人」その1)、スイスに帰国してからの彼は、当時勤務していたブレゲを退職して、5年ほど国立の時計学校の教師をやっていた。
それが遂に日本に住み着くことになり、今年から私の自宅近くの日本家屋を借り上げて一室を工房に改造し、時計作りに励んでいるのだ。
うちのオリジナルウォッチが完成に近づいているのはこのところ書いている通りだが、教員をやりながらスイスでコツコツ作り始めていたF氏の時計の方も、ちょうど同じような段階に来ている。
2月ほど前には、私の方から彼の工房を訪ねて見せてもらったのだが、、非常に良い。
アンティークのヤーゲンセンの大ファンでもある彼の時計らしく、繊細な曲線美を持ったプレートやスプリングには、隅から隅まで地道な手仕上げが施されていた。
「カンパーイ!」「サンテ!」
今回の場所は、昔から何度も一緒に行っている吉祥寺の魚吟になった。(「共同経営」)
「マグロ? エビ? 何にする?」
「んー、オレ、なんでもいいよー。スシならみんなスキだから。」
日本人の奥さんを持つ彼はもともとかなりの日本語が話せたが、、近ごろは、普通に話をしていてもほとんど不自由がないほどで、魚吟の2人の職人とも冗談を言って笑っている。
ひとしきり日本での暮らしや幼い子供のことなんかの近況を話していたが、何杯目かのビールが空になり日本酒になったころから、、最後はやはり時計の話しになった。
実を言うと、私は普段、店の外で時計の話をすることがまずないし、酒の席ではなおさらそう。
なぜなら、夜の酒場で知り合う「一般的な時計好きの人にとっての時計」と「私にとっての時計」には共通点がなくて、どうやっても話しが噛み合わないことが分かっているから。
お互い時計の話しをしているのに、あたかもまったく違う対象物の話をしているようになってしまう。
ちなみにこれは相手が同業者でも同じことで、その場合は同業だけに余計困るのだが、このF氏とだけは別。
決して時計の好みが同じというわけじゃないけれども、、「あること」に関して、お互いが同じように感じているのを知っているからだ。
「そう言えば、あの時計の切り替えのスプリングさー、すごくいいね。でもあれ、仕上げるの大変な形にしちゃったねー。」
「ソーソー、、あれねー。 ホントたいへん。でもガンバるよー。」
自宅工房で彼の時計を見せられた時、独特の形をしている文字盤側のスプリングが、パッと目についた。
とてもきれいな形を描いている鋼のスプリングなのだが、それゆえ、仕上げがの難易度が高くなることは一目瞭然。
仕上げの事を考えれば、もう少し緩い形状にしておこーかなーとなりそうなもんだけど、、そこを敢えて突き進んだ感があったから、聞いてみたわけだ。
「竹さん、日本酒お代わりねー。」
「あ、オレも。」
「まあでも、確かに昔のいい時計は、あういう部品の仕上げも見事にやってあるしね。ありえないぐらい上手く。電動モーターすらない頃にさ。」
「ソーね。 ホント、驚きだよ。 知ってる通り、ブレゲにいた時もボクはアンティークのレストアのセクションにいたけど、、昔の時計の仕上がリは、今のものと全然違ってた。でも、みんな最初は分からないんだ。」
「うん。 見たことがあるってだけじゃ分らないよね。自分で作ってみてはじめて分る違いだから。 でもさ、メーカーの時計はまったく別の方向性だけど、最近の時計でも、独立系の時計なんかでとてもうまいの見るよね。でも、全体として同じかって言われればそうじゃない。 寸法の正確さとかの問題じゃないから、言葉にするのは難しいけどね。」
「うん。雰囲気の違いかな。」
「そんな感じかな。 ホント、もちろん自分を含めてだけど、最近、時計の仕上がりが厳密にあの領域に達することは今後ないんじゃないかって思うんだよね。 」
「うん、確かに。オレもそう思う。」
「でもまあ、お互い頑張ろうな。 竹さん、お勘定よろしくー!」
日本刀しかり、陶磁器しかり。
ある一時できていたことが、、どうしても同じレベルで再現できなくなる。
これは時計だけの話じゃない。
職人の賃金高騰など社会的な背景もあるが、、おそらくそれ以上に、機械の発達による便利さに慣れてしまった現代人と、そうでなかった頃の人間の違いがあるような気がして仕方ない。
電卓でちゃちゃっと計算するから、暗算が弱くなる。
どこへでもカーナビに案内させるから道をおぼなくなるし、スマホに入力してあるから、自分の電話番号すら出てこなくなる。
そんな風にして文明の発達は、生来、人間に備わっている能力を退化させてきたのではないか?
もちろん古いものがなんでもいいわけじゃないし、アーミッシュみたいな原始的な生活に回帰しようっていうわけでもない。
便利な道具があればどんどん使うべきだと思うし、そうでなければ、競争力もなくなる。
そもそも私には懐古趣味があるわけじゃないし、古臭いものにノスタルジーを感じているんじゃない。
ただ「ありえないほど出来がいい」時計があるから、アンティークウォッチが好きなだけなのだ。








