「ピンポーン」
「あ、お客さんいらっしゃったよ!」
「いらっしゃいませ。こんにちは。 定期整備のお預りですね? どうぞ、こちらへ。」
入口の呼び鈴を押してもらってからドアを開けるスタイルになって、今日で5日目。
最初こそあれっ?なんてなってたけど、、馴れてしまえばなんてことはない。
というか、呼び鈴の音が結構大きいから、今までみたいにお客さんが入って来てるのにしばらく気がつかなかったなんてことがなくて、むしろこの方がいい。
怪しげな連中が何人かで入ってきてニヤニヤしながら店内をうろつく、みたいなこともないし、、以前より作業に集中し易くなったのだ。
さてさて、気がつけば夏至も過ぎ、今年も残りがあと半分。
年始からしばらくは香港のトランクショーの準備などでバタバタして、春先からはオリジナルウォッチの追い込みに追われる現状。
もっとも、一号機のムーブメントと文字盤が完成している篠原の「那由他モデル」は、ステンレスケースの納品を待つばかりの状態になっていて、、どうやら秋口には正式発表できそうな見込み。
一方、私がプロトタイプを腕に着けたまま5ヶ月余りが経過したオリジナルウォッチ「MP 1」の方は、、ムーブメントの仕上げやケース、文字盤のタイプを何通りか試作しているところ。
もちろん、販売商品の整備やカスタムのオーダー、一般の修理品や定期整備と平行しながらの仕事にはなるが、、こちらの方も、なんとか年末までには正式発表するつもりで進めているのだ。
しかしまあ、まだ完成してもいないうちに言うのもなんだが、ここまでが本当に長かった。
「いつか自分の時計を作るんだ」なんて淡い夢を描いたのは、30年以上も前の話。
アンティークのガラクタ屋で時計をいじり始めた20代の終わりのことだったのに、、浦島太郎よろしく、還暦のオッサン(ジイサン?)になった。
その間、日本でも何人かの「独立時計師」が登場し、とっくのとうに活躍しているのは、皆さんご存知の通り。
「マサさん、時計を作る話、いつやるんですかー?」「うん。もうすぐやるよー。」
店を訪れるお客さんや時計ジャーナリスト達とは何度となくそんなやり取りをしながら、、持ち前の腰の重さをいかんなく発揮して?、ここまで延ばしに延ばした。
きっと、もうやらないんだろーなー。
そんな風に思った方も多かったんじゃないかと思う。
これで結局完成しなかったら、さぞかしいい笑い話になるだろうけど、さすがにそれはない。
仮の形のプロトタイプとはいえ、できた時計は、もう何か月も身に着けて歩いてるんだから。
釣りの時も、ゴルフの打ちっぱなしの時も、それこそ寝てるとき以外はずっと着けっぱなしだけど、、いつも調子よく動いてくれてる。
「大変申し訳けございません。この時計はもう部品の製造が終了してしまっているので、修理は受け付けられません」
たった何10年か経った時計を修理に出して、メーカーからそう突き放される。
就職祝いに買ってもらった時計を愛用した方が退職するような歳になり「息子にでもやろうかな」なんて思ってたら、、メーカーで、ムーブメントのユニットごと交換しないといけない時計だと知る。
長年使って、愛着があるんだけどなぁ。
昔から、日常的に店で聞いている話だ。
ゼンマイで動く、機械式時計の特徴。
真面目に作ると手間が掛かる、つまりお金が掛かる。
電池の時計のような正確さでは、時間が合わない。
定期的に整備しないと壊れるから、維持するのにお金が掛かる。
こう並べてみると、、良いことなんか一つもない。
もちろん「チクタクいう音が心地良い」とか「秒針の動きが滑らかでいい」「ムーブメントの精密さにシビれる」なんて人もいるけど、、これは本当に趣味の問題、愛好家の話しで、誰にとっても絶対的なメリットとは言えない。
その他にも、ケースがカッコいい、とか文字盤の作りが贅沢、とか色々あるけど、これは別に、機械式だからというわけじゃなくて、やろうと思えば、電池のクオーツ時計でも、見た目のいいものはできる。
これは完全に私感だけど、、正確で故障が少なくかつ安価な電池式の時計が身の周りに溢れている現代において、機械式時計の唯一絶対的なメリットは「長年使える」だけなのだ。
とかなんとか言ってると、、「あんただってよく、ネジの仕上がりがいいだの、ムーブメントの佇まいがいいだの、性能と関係ないことばっかり言ってんじゃん」って言われるけど、、、それは、私が長いことアンティーク時計ばかりいじって、病気に掛かっているからだ。
世の中の大半の人にとってはどうでもいいことにこだわったり、夢中になったりする。
趣味の世界とは、なんでもそういうものなのだ。
話が逸れたが、、だからうちで作るのは「代々使える時計」ということになる。
でも、そんなこと試作品を何か月か使ってみただけでどうして言い切れるのかというと、、それは、100%アンティーク時計のおかげ。
私に特別な才能があるというわけではなく、誰かが教えてくれたわけでもなく、ただ単純に、毎日毎日アンティーク時計をいじっているから、答え合わせができているのだ。
例えば、同じメーカーの100年前の時計をいじっていて、決まって傷んでいる箇所を発見する。
毎回同じ症状を見て「あー、またかー」と思いながら、同じ処置を施す。
一方で、同じメーカーの130年前の時計をみると、より古い個体なのに、該当部分がビクともしていない。
最初のうちは、たまたまかなぁと思うけど、、同じ時計に何度も出くわすうち、それが、部品の作りや設計にあるちょっとした違いのせいだと確信するわけだ。
ちょっとした違い。
それは、部品の材質だったり。形状だったり、研磨の具合だったり、、、気の毒な事に、それを作った職人は100年後にそこがどうなったか知る由もない。
一方でその貴重な「答え合わせ」のデータは、長いことモタモタしていた私の中に、たくさん積み重なっているのだ。








