「節目の年」 | 吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。

 

 

三寒四温も一段落し、強い陽の力を感じるようになってきた今日この頃。
 

非常事態宣言の続く中、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
 

 

パスタイムも、店舗部分を休業し、工房での作業だけ時短で継続するようになって久しい。
 

幸い今のところ時計の納品に大きな遅れが出ていないのは、店頭での仕事がない分だけ各自の実質的な作業時間が変わっていないと言うことかもしれない。
 

 

とは言えこの状態だと、、、店に活気がないこと甚だしい。
 

静まり返った工房に聞こえるのは 「ブーン」 という旋盤のモーター音や、タガネを打つ 「トンッ」 という音。
 

それから 「クソー」 とか 「ナンダヨー」 とかいう職人の独り言や 「フーッ」 という湿った溜め息ばかり。
 

それに、これがずっと続けば店頭での新たなご注文が入って来なくなるわけだから、、状況を見ながら、遠からず営業を再開しなければ思っている。
 

 

さてさて、今日5月1日は、マサズパスタイムの誕生日。
 

それも今年はキリの良い、30周年ということになる。

本当は、ちょっとしたパーティでも、なんて考えていなくもなかったが、、こんな状況では仕方ない。

 

 

東村山のマサズジャンクヤードが吉祥寺に移転してマサズパスタイムになり、というくだりは以前の連載投稿「回想」でご紹介した通り。
 

思い返せば本当にいろいろなことがあったが、今となってはあっという間だったというのが実感だ。
 

「回想」 の繰り返しにはなるが、少しだけ駆け足で振り返ってみることにする。

 

1990年の冬、5月の開店を目指して床をガリガリ、壁をペッタンペッタンし始めた私は、まだ20代の若者だった。
 

あれをこうして、ここをこうして、お客さんが入ってきたらこっからこう出ていって、、夢見がちに店作りに励んでいると、2月になってバブルが崩壊。
 

連日報道される、金融機関や証券会社、不動産屋の経営危機に投資家の破産。

しかし経済に関心のなかった私には何がどう影響するのか全く分からないまま店作りは進み、「マサズジャンクヤード」 は5月に開店した。

 

当然ながら、当初は悪戦苦闘の連続だった。
 

なにしろ商品にも経営にも、全く知識や経験が無いのだから、、うまく行くわけがない。
 

しかし何度か潰れそうになりながらも一年、二年と時は過ぎ、5年を過ぎると少しだけ自信がついて、、、10年目の年に、吉祥寺(南町)に引っ越して、マサズパスタイムになったのだった。

 

新しい店の滑り出しは、まずまず好調。
 

バブル崩壊のショックも癒え、 「ITバブル」 などと呼ばれる好景気の到来にも支えられたのか、スタッフも機材も増えた。
 

かねてからの構想だった, 「カスタム腕時計」 が完成したのも、この頃。
 

その後、店が手狭になったのを機に、現在の本町へと引っ越し。
 

そこから更に、12年が過ぎたということになる。

 

言うなれば、バブル崩壊の荒波に漕ぎ出した小舟は、サブプライム、リーマンショック、東日本大震災などの嵐に見舞われながらも沈没せずに航海を続けたのち、30年目に 「新型コロナウイルス」 という大時化を食らった、といったところ。
 

やれやれ、神さまは一体どれだけ試練を与えれば気が済むのだろうか、、。

 

ただ一つだけ、私にとっては有益なこともあった。
 

これまで平日は毎晩どこかの酒場に引っ掛かり午前様、休日は釣り、だった生活パターンが激変したおかげで、、しばらく放置していた自宅の作業場の整備に手をつける時間が出来た。

 

最初は 「少しは掃除しないと」 から始まったのだが、あれが出来るといい、これがあれば何でも出来るじゃん、などと言いながら足りない機材や材料をドンドン調達しているうち、気が付けば店に居るのと同様、何でも一通りの作業が出来るところまで充実。

もっとも私は、余程のことが無い限り店の仕事を家には持ち帰らない。
 

それをやりだすと気分転換が全く出来なくなるからだけど、、期限もプレッシャーもない時計いじりは改めて面白いし、店にいては出来ない部品工作なども く 「STAY HOME おうちにいよう」 のおかげで可能になったと言える。

ウィルスとの闘いがいつまで続くかは分からないが、、、これをきっかけに長らく止まってしまっているオリジナルムーブメントの続きを含め、新たな商品開発に挑もうという気が起きて来たのだ。

 

 

晴天だった今朝、自宅の作業部屋から出て、庭で一服しながら夢想した。

 

「こんにちは。 お邪魔します。」

 

「いらっしゃい。 今日はどんなご用件で?」

 

「いやね、ここへ来れば、自分好みの時計をオーダーメードで作ってもらえるって聞いたんだけど、」

 

「お安いご用で。 どんな時計にされるか、ゆっくりご相談させていただきましょう。 さあさあ、奥の方へどうぞ。」

 

 

私の描いている、理想の時計屋は、こんな感じ。

 

スーツを仕立てるみたいな調子で、ひょいっと入って来たお客さんが時計を注文できる店。

 

それが実現するにはまだまだ先が長いが、、いつかそうなるためにこれまでがあったと信じ、これから先も続けたい。

 

 

「ホー、ホケ、、ホーホケ、、」

 

隣地の立ち木で鳴いている、ウグイスの子供。

 

まだ練習中なのか、うまく鳴けていない。

 

「ホーホケ、、ホーホケッ、、、ホー、、、。」

 

もうちょっとなのに、、何故その先がいかないのか。

 

「ホーホケ、、ホーホケ、、」

 

 

何かと思ったようにうまくいかない。

 

これまでの私もそんなことだらけだったし、今でもそうだ。

 

まだまだこの先、頑張らないと。

 

諦めずにしぶとく続けていれば、きっと、必ずうまくいくはず。

 

30年やそこらの苦労を振り返って、しんみりしている場合ではないのだ。

 

 

「ホー、、ホー、、ホー、ホケッ、、、ホー、ホケキョー、」

 

おっ。

 

「 ホー、ホケキョ―、、、ホーホケキョ―」

 

さっきまで出来なかったのに、すっかり体得している。

 

作業部屋に戻った私には、、、得意げなウグイスのさえずりが、繰り返し聞こえていた。

 

 

 

 

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