「Tiffany & Coのアンティークウォッチ」 その3 | 吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。


それからというもの、私は 「TIFFANY自社製ムーブメントとされる時計」 を入手するたびに同様の申請を繰り返しており、、、非常に興味深い結果を得ている。


多くのものは 「パテックによる製品」 として認定を受けながら、、、全く同型の一部の時計に関しては 「我が社で製造したものではない」 という返事が返ってくるのだ。


しつこいようだが、これらのムーブメントはみなTIFFANYが当時発行したカタログで 「自社製ムーブメント」 と宣伝されているもので、、、明らかに後年に製造された 「Tiffany Patek」 や 「Tiffany Audemars」 等の時計の話しではない。



結論として、 「TIFFANYムーブメントには2つの製造者が存在する」 と言える。


一方は、1874年から78年の間、まさしくTIFFANYが運営する工場で製造されていた 「自社製」 の時計。


もう一方は、その後工場を引き継いだパテックがそこで製造した 「パテック製の同型機」。


こう考えて、、初めて辻褄が合うことになるのだ。



さてさて、今回ご紹介したこの 「TIFFANY&COの懐中時計」


例に漏れず、私はパテックにアーカイブを申請した。


そしてその答えは、、、「NO」 だったのだ。


正直嬉しかった。


普通、認定証の発行を断られて喜ぶ人間はいないだろうが、、、今回の場合は例外なのだ。


もちろん 「パテックの時計」 で悪いことは一つもない訳だし、、、どちらにしても機械的な優劣は見られぬ、実質的に 「同一のもの」 なのだが、、、何しろこの場合、それこそが今では数少ない 「TIFFANY自社製ムーブメントの時計の一つ」 であることの証明になる訳だから。


そういう意味でこれは時計の 「品質や評価額」 の問題ではなく、、、純粋に個人的な 「ノスタルジーの問題」 であると言える。



今年で175年目を迎える 「Tiffany & Co」


1837年、Charles Lewis Tiffanyが小間物商から始めた店はジュエラーとして見る見る成長し、、、37年後には大規模な自社の時計工場を持った。


しかし、スイス時計産業界が 「巨人・ウォルサム」 他アメリカの高性能量産機械を用いた時計製造メーカーにその存在自体を脅かされるようになった1878年、、、転機が訪れる。


ビジネスの 「パートナーシップ」 を提案したパテックオーナー 「Jean Adrien Philippe」 の懸命の説得にもティファニーは頑として首を縦に振らず、、、代わりに、 巨額の投資をした時計製造工場を彼に売却したのだ。


この時点でティファニーは 「最高級の時計メーカー」 であることよりも 「最高級の時計の販売者・ジュエラー」 であることを選択した.と言える。



1874年から、たった4年の間に作られた 「ティファニー自社製時計」 の物語。


我々のご先祖様が 「チョンマゲ」 を切り落として間もない頃。


西郷さんが西南戦争を戦っていた頃、の話しである。



(終わり)



※ 参考資料   「Tiffany & Co」 Andrea Danse著 

            「Complete price guide to Watches」 Tom Engle

                                    Richard E. Gilbert

                                    Richard M.Gilbert

                                    Cooksey Shugart 共著


※ 今回ご紹介したこの時計は、2/25日(土曜日)より販売開始致します。



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