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島根県出雲市でパステルアート&筆文字の講座、ワークショップをしている

 

パステルアートインストラクターの、そのやま ゆきみです。

 

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新年早々絵も描いてないので(笑)

 

自己紹介エピソードを・・・

 

今回は普通に?学生時代を振り返ってます。

 

前回までのエピソードがこちら

 

 

 

 

 

 

エピソード7

『寮生活の高校生 ~ 受験・・・本番に意外に弱かったわたし』

 

前回までは、どちらかというとおもしろエピソードや、変わったことをしてる?エピソードが多かったのですが、さすがに人生そんなことばかりではなく(笑)普通に学生時代のお話です。

 

 

 

 

ただ、みなさんと少し違うのは、中学生の頃から寮という集団生活で暮らしてたこと。

中学時代はいや~な想い出もあって、暗くなるので、それはまた別の機会で、高校生の頃に遡ってみますね。

 

中学から寮生活でなれてたつもりでしたが、高校生の寮生活は楽しい思い出も沢山あるけど、1年生の頃は、超きびしかった!!

 

一部屋がマックス4人。2段ベットと、二つ並びのそれぞれの机。

プライベートは、カーテンで仕切ったたたみ1畳分と衣装ケースが入るくらいのスペースのみ。

 

それも2段ベットの上ならまだいいけど、下だと、人の動きもすべてわかるし、梯子で上り下りするのもすべてわかる空間。

しかも縦割りなので、1年生、2年生、3年生の3人部屋が多かった・・・

当然1・2年が一緒の机やベット。

 

中学時代の寮は、休みの日は寮が閉鎖だったので、毎週家に帰れたけど、

高校時代はずっと寮はあいてるので、自分で決めないと帰らない、帰れない。

 

特に1年生は、食事の用意(食事はもちろん作ってもらうけど、お茶の準備や調味料のチェックなど)、片付け。

起床や消灯の放送、お風呂の準備など当番がたくさん。人数が少なかったので、けっこう当番の時が多くて、休みでも帰れない。

 

 

年功序列が厳しかったので、とにかく上級生ファースト。

1年生は、洗濯機が、脱水しか使えなかったので(二層式の時代)洗濯板で手洗いしてました。

2年生になると、洗濯機が使えるけど、乾燥機は使えない。

3年生は、何でも使える。

そして、使ったらすぐに空けないと先輩が使われるかもしれないので、気を遣う・・・

 

部屋の前でそろえるスリッパも、扉に近い順から上級生 1年生は端

廊下ですれ違うたびに挨拶 それが30秒前にすれ違った人でも・・・

掃除は全員でするけど、手が空けば、当然「先輩代わります!」と言って、仕事を代わるのが当たり前でした。

 

そして、時には1年生全員呼び出されて、先輩に叱られる・・・(笑)

 

食堂で繋がって反対側には男子寮もあったので、楽しいこともたくさんありました。

季節の行事は一緒にしていたし。

 

もちろん怖い先輩ばかりではなかったので、仲良くもさせてもらいました。

社会人になって、年齢の少しの違いはあんまりかわらないって感じになっても、

意地悪だった先輩は、今見ても見つからないようにスルーしてしまう(笑)

私は、中学時代も下級生たちとも仲良くしてたので、今でも会うと普通にしゃべるけど・・・

 

なので、息子たちにも先輩面してえらそうにするんじゃないよ・・・と言ってました。

 

そんな寮生活で一番残念だったのは、ほぼほぼテレビが見れないこと。

流行ってるドラマもバラエティも、歌番組もほとんど見れない。

『男女7人夏物語』『毎度お騒がせします』

などみれなかったなあ、再放送ではみたけど。


ミーハーだった私も、さすがにみれないので、アイドル雑誌をたまに買ったり、ラジオで録音するくらい。 

レンタル屋さんというものが後半やっとわたしのいる高校の場所にもできたぐらいなので、

基本は誰かが買ったレコードを借りて、カセットテープに録音する!があたりまえ。

 

なんなら、ダブルラジカセで、それをテープからテープに録音する!な時代。

FMラジオからの録音も貴重な音楽でした。

 

 

わたしがもってたのはまさにこれ。色まで一緒(笑)
いったんアップしてからみなさんのコメントで思い出した。
A面、B面あって、歌の途中でガチャンと切れて、表裏かえて聴いたりしたなあと。
そして、カセットテープには、ノーマルと、ハイポジションとか、あったなあと。
テープの時間をみて計算したりしたし…

 

ビデオもまだ登場してないので、家で録画もできなかった時代。

寮だったおかげで、学習時間も毎日決まってたので、なんとか勉強もしてたし、

先輩から過去問もらったり、友達同士で教えあったり、勉強の面ではよかったのかなと思ってます。

 

良くも悪くも集団生活を楽しんでました。

3年生では受験勉強がしたいのでと、寮を出て下宿しましたが2年間の寮生活は、今思うと、貴重な経験でした。

 

学校では腰を痛めてた関係で、入学後すぐに入ったバレー部は2週間で退部せざるおえなくなったし、

ゆる~い文化部(ESSという英語の…)しか入ってなかったので、クラスと寮の生活。

 

そして、2月が近くなると、なぜかそこまで親しくしてなかったという友達の恋バナを聴くようになる(笑) 

そして、バレンタインでは、橋渡しだったり、男子、先輩を呼び出したりする役目がくる(笑)

 

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体育祭では、フォークダンスというミラクルな行事もありました。

ときめく先輩とダンスするチャ~ンス(笑)オクラホマミキサとかコロブチカとか名前忘れたのも・・・

3曲ぐらい踊るのですが、あと少しでってところで曲が変わって反対まわりになったり、中学時代もでしたが、

男女の人数が合わず、背が高かった方なので、そっちに回ったり。

フォークダンス、ときめく時間だったなあ・・・

 

そして、大学受験へ・・・

意外にも本番が弱かったみたいで、A判定しかもらってなかったところを落ちたり、

共通一次も見事にすっころぶ(笑) 

それなりにショックだったものの、切り替えは早いのでもう二次は短大に・・・と切り替え。

今となってはそれが私の人生の一番のグッドチョイスでした。

 

しかも、それまでのテストでは、食物科を選んでたのに、同じ短大卒業の姉が、父と、保育科の方がいいんじゃないか(大学は小学校の教員志望だったし)、食物は40人定員だが、保育科は10名多い・・・とか言い出すものだからすっかりその気になり、保育科を受験。


受験前のデータは食物科のものしかないのに、本番だけ保育科。


それも願書を書いて見せてからそう言われたもので、受験しない友達から電話で頼んで願書をもらって書き直す(笑)


見事、合格し一生の友達って思えるメンバーと巡り合い、楽しいがいっぱいの短大時代を過ごすことになりました。

本番弱い・・・って思ってたからこその、この切り替えでしたが、

ほんとにあの時の私、GOOD JOB!です。

 

 

 

 

とりとめもなく書きましたが、エピソード8につづく

 

 

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