ファリャ バレエ音楽『三角帽子』第1組曲 G.58,第2組曲 G.59 | クラシックばっか 時空間

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今日 11月23日(土)は、マヌエル・デ・ファリャの誕生日です。

マヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ(1876年11月23日 カディス - 1946年11月14日 アルゼンチン・コルドバ)は、20世紀前半のパリを中心に活躍したスペインの作曲家です。



三角帽子
(画像はAmazonよりお借りしました。)



※ 下のリンク画像のまたは 画像をクリックすると、動画をご覧になること(音楽を聴くこと)ができます。ご存じだとは思いますが一応参考までに。

■バレエ音楽『三角帽子』第2組曲より「終幕の踊り(ホタ)」
ーーー (約 6分) ーーーーーーーーーーーーー  

 


https://youtu.be/qSbMhiUFNV0

 

 

 

■第1組曲より「序奏」~
ーーー  (約 1分) ーーー (全曲:約20分)  ーーーーーーー

 

https://youtu.be/qSbMhiUFNV0


■2019年11月23日 ーーーーーーーーーーー

 

※ 動画(大画面)の下にある線上で(手のマークの所を)クリックすると 自由に飛べます!(飛ばし聴きができます。)
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※ 文字色が変わっている部分に カーソルを合わせると、人差し指の手の表示になる単語にリンクが張ってあります。

 

 



商家に生まれたファリャは、幼児よりピアノを習います。ピアノで優秀な成績を収め、1899年にマドリードの王立音楽院をわずか2年で卒業します。当時スペインで作曲家として認められるためには、スペインの国民的な小規模のオペラである『サルスエラ(スペインの叙情的オペラ音楽)』を書くしかなく、彼は作曲を始めてから、5つほど作品を書いています。

1901年に音楽学者のフェリーペ・ペドレル(1841~1922)に師事し、国民音楽の進むべき方向を教授されました。その後、古本屋で買った『新音響学』により和声へ開眼し、1905年に1幕もののオペラの作曲コンクールに応募した作品『はかない人生』が入賞、また同年のピアノ・コンクールにおいても第1等賞を受賞しました。

しかし、受賞作品は上演されなかったため、1907年にパリに行き、ポール・デュカス(1865~1935)、ドビュッシーやラベルなどと親しく交わります。
そしてデュカスの助言を受け、『はかない人生』の大幅な改作を行って1913年にニーズで初演し、作曲家として世に出ました。その後、第1次世界大戦勃発のためやむなく帰国。

大戦後、バレエ界の大物ディアギレフと組んで、『三角帽子』をロンドンで初演し、空前の大成功を収めます。

しかしこの年、両親共に亡くした彼は精神的にダメージを受け、華やかな社交界を捨て、妹とグラナダに移り住みました。

今日ご紹介したバレエ音楽『三角帽子』G.53 は、スペイン・アンダルシアの民話を元に ペドロ・アントニオ・デ・アラルコンが書いた短編小説『三角帽子』をもとにして、マヌエル・デ・ファリャが作曲したバレエ音楽のための作品です。

 

後に抜粋され、2つの組曲(第1組曲 G.58,第2組曲 G.59)にまとめられました。題名(タイトル)は登場人物の一人、「代官(行政官)」の帽子(コーン型ではなく、3つのとんがりのある形)に由来しています。
今日ご紹介する バレエ音楽『三角帽子』第1組曲 と 第2組曲の構成は次の通りです。

◆バレエ音楽『三角帽子』第1組曲 
1.序奏   
2.昼下がり(午後)
3.粉屋の女房の踊り(ファンダンゴ)
4.代官(行政官)の踊り と 粉屋の女房
5.ぶどう

◆バレエ音楽『三角帽子』第2組曲
1.近所の人々の踊り(セギディーリャ)    
2.粉屋の踊り(ファルッカ)    
3.終幕の踊り(ホタ)


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一日雨、肌寒い一日でした。お変わりございませんでしょうか。

ハオルチアの写真は以前撮った物です。

 

大切にするからね。(そばにいてね!)

「姫 ピグマエア」

 

「光る(光り)オブツーサ」




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